コピー&ペーストという文化の恐ろしさ
自分のオリジナルな考え方によって、文章が成り立っているということが、実際はどれだけあるだろうか。多くは、何かの本や表現に触発されて、文章を書くことが多い。その時に、誰かが書いたものを、誰かが語ったものを、自分の考えたこととして表現したことはないだろうか。
そう自問すると、「ある」と書かざるをえない。
「この文章のこの表現は、この本のこの作者がこういう流れの中で語ったもの」として書くというのは、引用だと呼ばれる。真摯に文章を書くというのは、引用を正確におこなうということを含んでいる。その手間を省いて、自分のオリジナルな考え方だと言って書いてしまうと、めんどくさくない。手間がものすごく省ける。でも、それは盗用だということだ。
インターネットの時代は、簡単に、しかも膨大な情報を居ながらにして手に入れることのできる時代だろう。自分で意識していないうちに、知らず知らずの間に盗用してしまうということが起こる。理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーらが発表した「STAP細胞」の論文をめぐる事件は、こういうことの延長線上に起こった事件のように思われる。
今回の事件は、対岸の火事ではないと思っている。ぼくが一般質問で紹介した資料の中には、出所を明らかにしていないものもある。それらのほとんどは、自分で作成したものだが、中には考え方を拝借したり、自分流に資料を作り直したものがある。
ただし、写真の活用については、人一倍気を使ってきた。芸能人のネット上の写真を自分の記事の中に取り込んだこともあるけれど、本来ならこういう行為は許されない。プレゼンの資料を作るときに、有名人の顔写真などを載せてプレゼンすれば分かりやすくなる。しかし、そういう写真のほとんどは、どこかの写真を拝借するというように二次的な利用が多い。二次的な利用を行う場合、有名人本人の了解や所属事務所の了解が必要になる。でもそういう手続を求めに行くと、有料という話や不許可という話に突き当たる。
新聞に掲載された有名人の写真は勝手に使えない。「赤旗」には、よく有名人による日本共産党の躍進を願うコメントが載せられているが、この人が好きだからという理由で、自分が発行する印刷物に転用して二次的利用をしてはならない。この点については、「赤旗」の編集部から繰り返し活用してはならない旨の話が出てくる。それらの方々は、「赤旗」のこの記事について、写真とともに掲載を了解しているのであって、他の宣伝物への転用を認めてはいないということだ。
でも、ネット上では、何でもありのような状態になっている。新聞記事は、勝手に写真に撮られてTwitterやFacebookに転用されている。状況をものすごくややこしくしているのは、新聞自身がTwitterやFacebookにリンクを貼ることを積極的に認めているところにある。FacebookやTwitterの記事が、勝手な二次的利用なのかどうかも分かりにくい。二次的利用を許可しているものも溢れているし、リンクやシェアが著作権に触れているのかどうか、なかなか判別しにくい。
文章を書くときに、情報の出所をきちんと明らかにして記事を書くことは許されている。新聞の貼り付けは、引用の延長線上にあるともいえる。でも、歌の歌詞やメロディーは、引用も使用もすべて著作権に触れてしまう。歌詞を引用するときには使用料を払う必要がある。という形になっている。この使用料はかなり高額だ。
曲を勝手に使用してYouTubeにアップすると、著作権に触れているということでブロックされてしまったことがある。でも、どういう訳か、ネット上には、アーティストの音楽や画像が氾濫している。この数は日々増えている。
こういう文化の中で育った世代だからこそ、自分の書く文章や作成する資料には責任を負うという自覚を高めたい。理化学研究所の「STAP細胞」の論文事件は、多くの人に問題を投げかけている事件だと思っている。小保方さんたちは、少しコメントを明らかにしているが、まだ調査の途中だということになっている。STAP細胞が第3者の手によって再現され、研究が再確認されることを願っている。世紀の発見が、世紀の発見のまま次のステップを踏むことを願っている。
引用については論文の基本中の基本で、僕なんかも大学時代には何度となく指導を受けた記憶があります。が・・・今回の問題の本質は引用の参考文献を忘れたのが問題ではありません。
STAP細胞の画像が博士論文の写真と同じ・・・これは間違ったでは済まない。厳しくいうと捏造になるというか、僕は捏造だと思います。捏造となれば小保方さんは研究者として終わりです。
STAP細胞が本当に存在するのならぎりぎりセーフ、もし存在しなければアウトです。
日本の場合は、終わってしまうかもしれませんね。トリノさんがいうように引用上のミスではなくて、研究成果を発表した論文の根拠となる画像が、実際の実験の時の画像ではないということです。次元が違います。
世紀の画期的な発見だという中身をもつだけに、この論文に対する徹底的な検証がなされるのは、当然のことでした。これは、科学の世界における当たり前の作業だと思います。それでも、現時点では、小保方さんたちの研究が、第三者によって再現され、再確認されることを願っています。
事実でないものを発表すれば、どんな結果になるかは想像できます。写真の誤用や盗用のない、隙の全く見あたらない論文であっても、根本的な事実誤認があり、何度実験してもSTAP細胞の存在を確認できないということはあり得ることです。
その場合研究論文は、誤りを指摘されて批判はされるけれど、研究姿勢に対しねつ造を疑われることはないでしょう。今回は、STAP細胞の是非ではないところで、かなり早く論文の問題点が指摘されたということは、非常に脇の甘い論文だったということだと思います。
理化学研究所の中間報告を兼ねた記者会見は、やり取りを読む限り真摯なものだったと思います。検証が終わっていない段階で小保方さんたちに説明をさせなかったことも、いい判断だと思います。重大な問題だと認識しつつ、ていねいに検証しようとする姿勢を感じました。日本のマスコミは、発表時はもてはやし、問題が発覚すると集中砲火を浴びせるという感じです。そこには、研修成果を見守るという姿勢は感じられません。
理化学研究所の記者会見は、控えめな表現ですが・・・海外でも似たようなことがあって本なんかで詳しく書かれているのを読んだことがあります。論文を取り下げる・・・つまりSTAP細胞は存在しないということに等しい。
結果はどうかわかりませんが、STAP細胞は存在しないと思いますよ。
小柴さんが16万光年のかなたの超新星爆発のニュートリノを観測したとき、チームの全員に緘口令を指示して、そのデータが間違いないことを確かめて、論文を発表しています。
山中教授が高橋講師と2人でiPS細胞を発見したとき、同じように山中さんは高橋さんに他言しないように指示して、2人でそれが間違いないことを1年かけて確かめました。また利根川さんがノーベル賞をとった発見も、徹底的な追試をして確認されています。
論文を発表して、理研自身がSTAP細胞の存在を確認できない。・・・・まあ~アウトだと思います。
トリノさんが正しいという強い印象を持ちました。
新しい発見が全世界に発信されたときに何が起こるのかを深く知る必要がありますよね。優しく育ててくれるのではなく、極めて厳しい競争の中にあるので、新発見は、徹底的な批判の目にさらされるということです。もちろん、善意の目もあれば、敵意むき出しの目もあります。対決的な人々に対しても、認めざるをえない、揺るぎない確証を得てはじめて研究成果は認められるという点を考えると、理化学研究所の小保方さんをリーダーとするチームは、研究発表のいろはを理解していなかったということです。
研究発表が、隙のないものになってはじめて、新しい一歩を踏み出せるのであり、批判されたら脆くも崩れ去るようなデータを使った時点で、もうだめだということですね。
優しく見守るというような次元の問題ではないということですね。よく分かりました。
STAP細胞の問題を見ていると、福岡 伸一の著書、『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書、2009年)を思い出します。その本にアメリカでの実験データ捏造事件に関する内容が記されていました。
その本を参考に、僕の独断と偏見で今回のSTAP細胞騒動が発生したか空想します。あくまでも空想で、事実ではありまあせん。
理化学研究所の小保方さんには上司の笹井 芳樹さんという人が居ます。ES細胞の日本の第一線の研究者です。京大卒で、博士号も京大。エリート中のエリートで36歳の若さで京大の教授になったひとです。順当に行けば、間違いなく日本の再生医療に関するリーダーとなる人だった・・・と過去形です。彼の前に突然巨星が出現したために再生医療の一番になれなくなったのです。山中教授の出現、iPS細胞の発見が彼の一番の道を阻んだのです。笹井 芳樹が36歳で教授になったとき、山中教授は大阪市立大学の助手でマウスの世話ばかりしていました。15年前は天と地の違いがあったのに・・・・笹井 芳樹さんはiPS細胞よりいいものを発見したいと願望していたのです。そこに小保方さんが現れた、まさに自分が望むものこうあったらいいのに・・というものを見せてもらったのです。理化学研究所のSTAP細胞発表の時には、わざわざマスコミ向けにiPS細胞対抗としてSTAP細胞の優位性まで書いて配布したように・・・確かに未熟でいい加減な論文を書いた小保方さんは一番悪いですが、その論文を望んだというかそれを信じた人がいるということ。研究はどんな進め方をしたのかわかりませんが、もしかしたら笹井 芳樹さんがSTAP細胞の存在を望むあまり、小保方さんにSTAP細胞の存在を示すデータを出すようにプレッシャーをかけたのかも・・・笹井 芳樹さんは自分が求めるデータが出ると疑いもせず、自分が描いた願望をSTAP細胞として発表したのです。
・・・というのが僕の空想です。
『世界は分けてもわからない』最初の部分だけ読んで止まっているので、読みたくなってきました。
真実が明らかになったら、トリノさんの空想が、事実と重なる部分が出てくるかも知れませんね。