大工仕事ができるかどうかは、男の評価の試金石

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娘に頼まれていた机の引き出しを作成した。電動ドリルの先にねじ釘用の部品をつけて釘を打ち込もうとしたが、木に非常に堅い節の部分があって、ねじ釘が入らない。悪戦苦闘していると、娘に大工仕事がへたくそなのがばれてしまった。
ばれた限りどうするか。
もう、開き直るしかない。
「お父さんは大工仕事がへたやろ」──自分で白状して笑いで誤魔化して、娘の心の淡い期待感を打ち砕くのだ。本日は、さりげなくこのセリフを語れたので、肩の荷を下ろした感じがした。
質問の組み立ては簡単にできるのに、大工仕事の段取りはものすごくまずい。狭いところで金槌を使っても力が入らないので釘が刺さらない。斜めに打ち込もうとしてもくぎの頭を正確に射抜くことができない。
訓練が根本的に足りないということだろう。
大工仕事が上手な人間にはあこがれてしまう。どうも中学校の技術が苦手だったのに、あるときの試験の点数がよかったので5をもらったことがあり、自分でも驚いたことがあった。
大工仕事でできるのは、組み立てキットを作ることぐらいだ。
でも、大工仕事が得意な人が、パソコンのことになると接続もままならないというケースがあったので、ま、人は得意・不得意があるということだと思っている。
結婚して、大工仕事ができるかどうかは、妻の尊敬を獲得できるかどうかの分水嶺になっていると感じる。妻という存在は、自分ができないことを100%棚に上げて、夫にしてくれといい、夫がもたもたしていると上から見下すような目線を投げつけてくる生き物だ。
自分のことを棚に上げる能力は、女性の歴史の中のDNAに刻まれている。女性だから大工仕事なんてできないのは当たり前。そう思っている人は多い。統計をとったら、男がびっくりするほど大工仕事=男の仕事というのが出てくるだろう。
男女平等を唱えるのなら、その平等概念のコアに大工仕事がある程度できるという基準を入れるべきだろう。私も大工仕事ができるんだから、あなたができて当たり前でしょ。女性はこういう論理を展開してほしい。
大工仕事ができない女性は、大工仕事のできない男を批判すべきではない。人を批判するときは、自分でそれができるかどうかというフィルターを通してから物を言ってほしい。
この願いは、本物だ。
大工仕事ができるかどうかが、評価の分水嶺ということを世の男性は、心にしっかりと刻み込んでおくのがいい。男性の花婿修業というのは、皆無に等しい。でも、こっそりと、でもしっかりと大工仕事がある程度できるようになっておくことが重要だ。
ここで失敗したらおそらく一生言われ続けるに違いない。
さらに、最小限の電気仕事ができることも大事だろう。


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Posted by 東芝 弘明