どう生きるのか。

雑感

Guernica

この時代をどう生きるのか。
この問題が問われ始める時代に入ったように感じています。あの戦争が終わったとき、熱病のように戦争を支持していた時間が過ぎて、多くの人々に戦争の時に取ってきた態度が問われました。静かにしかし大きく広く深く。

どう生きるのか。
自分の態度を合理化し、戦争は正しかったといいつつ戦後を生きた人々もいました。
しかし、戦争はもう二度と繰り返してはならないという態度を取って生きた人々もいました。
この問題が、世代を超えて、時代背景の全く違うこの現代のなかで、まさに今鋭く問われようとしています。

どう生きるのか。
戦後すぐのときは、戦争を二度と引きおこさないという決意とどんな日本をつくるのか、ということが、まさに産業の分野でも生活の分野でも政治の分野でも問われました。

どう生きるのか。
今日におけるこの問題は、
戦争への道を止めるのか、
それとも戦争に手を貸すのか、
という2つの道のどちら側に立つのか、という問題になりました。

私は、命がけで戦争に反対した日本共産党の一員として、戦争への道を止める側に立ちたいと思っています。

政治的な場所で責任ある位置にいる人
経済的な組織の中で責任ある地位にある人
マスコミの中で責任ある地位にいる人
行政の中で責任ある地位にある人
労働運動の中で働く仲間の中から選ばれた人
行政の仕事に携わっている人々
文化運動を担っている人々
芸術活動に携わっている人々
地域の中でさまざまな活動を担っている人々
福祉や医療の野分野で働いている人々
教育現場で子どもたちに教えている人々
マスコミの中で仕事をしている人々
家族を支えている人々
大学で学んでいる人々

いろいろな立場にある人々が、時代に流されて人間の生きる道を踏み外してはなりません。あなたの地位や名誉や立場の中で、勇気ある声を上げることが、生き方の問題として問われています。
戦争の問題は、全ての人間を惨禍に巻き込むものだったことが、第2次世界大戦における教訓でした。
あなたが戦争を無視しても、戦争は始まれば、戦争はあなたを例外的には扱いません。
それは、あなたが政治を忘れても、政治はあなたを忘れないのと同じです。

さまざまな位置の中で、どう生きるのかが問われています。その位置を離れ、たとえば匿名などで行う発言は、どう生きるのかという問からは離れてしまいます。あなたの立場を踏まえて行う発言こそが問われています。

どう生きるのか。
戦争にどう向きあうのか。
戦後最悪の内閣は、結局、私たち国民に、この根本問題を突きつける内閣となりました。
私たちの目の前に、消炎の立ちこめる機関銃を向けて、にやりと笑う国家権力の姿が見えますか。
特定秘密保護法をつくり、集団的自衛権行使に道をひらき、法改正をおこない、憲法改正への道を進んでいる、現代の歴史が見えますか。

戦争への引き金を引かせないことが大切です。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
この憲法前文は、国民主権があれば、国家が行う戦争をくい止めることができることを示しています。

どう生きるのか。
まさに今、国民主権が問われています。
私たち一人ひとりの立場と国民主権は、切り離しがたく結びついています。

どう生きるのか。
戦争への道をくい止めるために、あなたの力が必要です。


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雑感

Posted by 東芝 弘明