あなたは、ぼくの記憶に残っている人ですか

ねむた目で「赤旗」を開いて、何となく読者欄の記事に目を通した時のことだった。10月2日の赤旗日刊紙。
9月5日に掲載された詩に対する感想を綴った投稿だった。
「武蔵和子」という文字が目に入った。
机に上の古新聞に9月5日の「赤旗」があった。
紙面を開く。「武蔵 和子」がそこにいた。
驚いた。
彼女は、9月5日の「赤旗」の詩の欄に投稿していた。「なんびょうになって」という詩だった。
ひらがなで書かれた詩には、峠三吉の「にんげんをかえせ」と同じような匂いと「力」を感じた。
ぼくが、民青新聞にせっせと投稿していた26歳、27歳の頃、彗星のように詩の投稿欄にあらわれたのは「武蔵和子」さんだった。
この方が、今回の武蔵和子さんなのかどうかは分からない。
かつて、武蔵和子さんという名で投稿していた詩を書いていた同年代の女性がいた。
符合するのは、名前と現代詩を書くということだけ。別人なのかも知れないが。別人でないかも知れない。
難病と闘っている人の詩は、内容に触れるのが恐ろしくなるほどの重さがあった。
27年前の民青新聞の詩の欄で、記憶に残っていた人。
今も詩を書いていたのかという驚きと、病気になっている現実への驚き。選者が書く「事実の衝撃」。
詩はこう締めくくられている。
さんしょくひるねつきの
ぜいたくざんまいだが
じぶんのあしであるいていたしあわせや
かじやしごとやなんでもないことが
あたりまえにできていたしあわせには
とおくおよばない
武蔵和子さん。あなたは、ぼくの記憶に残っている人ですか。












ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません