憲法9条は日本の顔 2005年5月21日(土)

雑感

「もし、戦争が始まったら女性として核を落とすことができますか?」
新聞記者は尋ねた。
「できますよ」
彼女は語気強く答えた。
ジェラルディーン・フェローラ氏は、アメリカで副大統領候補になったとき、新聞記者に執拗にこう質問されたという。
大統領に事故があり、副大統領が責任を負わねばならないとき、核兵器の発射ボタンを押さねばならないことがある、それを女性であるあなたにできるのか、これが記者の質問の真意だった。彼女が、「できますよ」と答えたので、記者団はほっとした。
この話は、「経済成長がなければ私たちは豊になれないのだろうか」という本(ダグラス・ラミス著:平凡社刊)に書かれている。ラミス氏は、これがアメリカの常識だという。
この常識は、おそらく、日本人には分からない感覚だろう。氏は、アメリカの子どもたちの文化としてこうも書いている。

「アメリカ合衆国の、特に男の文化のなかで、人を殺すことになるかもしれない、というのは当たり前の『常識』です。子供はどうやって大人になるか。子供たちは周りの大人を見て、大人の条件は何かを判断する。アメリカだけでなく、日本以外の他の大国もそうだと思いますが、特に男が大人になるということは、『人を殺せる人間になる』と定義づけられている」


アメリカで子供たちが戦争ごっこをするのは、社会からのメッセージを正しく受け取っていることになるとも書いている。アメリカの常識の一つの結論は次の引用にある。

「毎年毎年、何十万もの人たちが、殺人訓練を受けているということです。ひじょうに大きな殺人学校があって、アメリカのなかの何百万人もの人たち─主に男たち─がその殺人学校を卒業しているのです。その殺人学校というのは、もちろん軍隊のことです」「普通、人は人を殺せないものです。抵抗があって、なかなかできないし、やりたくない」「軍隊ではその抵抗をなくす訓練をするのです。殺せない人間から、殺せる人間への訓練です」


ラミス氏はアメリカ人であり、日本の憲法第9条は守るべきだと書いている方だ。
日本は、この60年間、軍人になることを求められず、戦争にかり出されることもなく、理不尽に人間を殺す訓練を受けることのなかった希少な価値を持った国民となった。
ラミス氏は、この価値は大きいといっている。ほんとにそう思う。
9条を変える中心には、「日本の戦力保持」を実現したいということがある。
自衛隊は軍隊だから「戦力保持」を認めてもいいのではないか。という意見がある。
しかし、戦力を保持したら、自衛のための戦争に道が開かれる。
そう、日本政府が名付けた大東亜戦争は、まさに「自存自衛の戦争だった」。
「満蒙は日本の生命線」といい、この生命線はその後どんどん拡大し、しまいにはオーストラリアまで伸びていった。
戦力保持→イラクでのアメリカを助ける戦争も自存自衛となりはてる。
これを成り立たせる言葉とは何か。
それは「集団的自衛権」。
集団的自衛権=生命線=自存自衛だ。
この流れはそんなに単純には実現できないが、考え方の上では、すでに構図ができあがっているといっていい。
戦争する国からしない国へ。人を殺すことを教え込んだ国から人を殺してはいけないと教える国へ。──繰り返すが、これはまさに180度の転換だった。
戦前、男の子は、お国のために命を捧げることを教えられ、軍人になることを最高の目標だと教えられていた。
この教えは、教育勅語によく表れている。
勅語はこう書いている。

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ」


この言葉を現代訳にするとこうなる。
「国の一大事には、天皇に正義と勇気を捧げ、天地とともに永遠に続く皇室の隆盛のために力を発揮しなければならない」(戦前の「公」というのは、主権者である天皇のことである。公共ではない。明治憲法下では、主権は天皇にあったし、後に続く「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という言葉の意味からいって、「公」は天皇以外に考えられない)
今日、右派の方々のなかに、この下りを次のように説明している例がある。
「国の一大事には、国民は国のために力を尽くさなければならない」
60年前に教育勅語をこう説明したら、たちまち怒りに触れただろう。今でも教育勅語はいいことを書いていると言いたいがために、意味をねじ曲げているのだ。
戦争をする国になったとき、日本はアメリカと同じような病理を抱え込むことになる。それは、戦場で殺し殺される体験を持った日本人が、国民の中に増えていくことを意味する。
映画「ランボー」の第1作は、ベトナム帰りの若者が疎外され社会にとけ込めず、追い込まれていくさまを描いていた。娯楽作品でなかった「ランボー」だった。
9条は、戦争をしたい国家の思惑を退けて、国民の生命と財産を守ってきた。憲法を変えたがっている自民党と民主党の国会議員の方々は、自分たちの息子を含め、戦場には行かないし、戦場には送らない。戦場に赴くのは、軍人になって職に就こうとする人々だ。
私たちの次の世代に憲法9条という平和のバトンを手渡さなければならない。憲法9条は、全世界が日本に与えてくれた価値ある宝だった。次の世代へのバトン──これが、憲法9条をプレゼントしてくれた全世界への恩返しだと思う。

雑感

Posted by 東芝 弘明