富田林の寺内町にある杉山家の見学記

雑感,出来事

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昨日に続き、富田林の寺内町(じないまち)の杉山家について、少し書いておきたい。

説明資料をまず紹介しておこう。
「杉山家は富田林寺内町の創建にもかかわったと言われる旧家のひとつで、江戸時代から明治の半ばまで造り酒屋を営んでおり、最盛期には使用人だけで70人を数えたと言われている。 建物内部はよく保存され、近世の状態をよくとどめている。とくに、大床の間に描かれた老松や襖絵は狩野派の絵師によるもので、往時の繁栄がしのばれる。この住宅は現存する町家のなかで最古と考えられるもので、国の重要文化財に指定されている。また明治の終わり、与謝野晶子らとともに活躍した明星派の歌人石上露子(いそのかみつゆこ)の生家としても知られている。
現在は市で管理しており、寺内町で唯一、建物内部の見学も可能である。また、建物の向かいにある寺内町センターでは、寺内町に関する資料を展示している。」(関西デジタル・アーカイブ)

もともとあった杉山家は、かなり大きな造り酒屋だった。まちの辻から辻までの一角がすべて杉山家だったのだという。この寺内町は、道に沿って水路が張り巡らされ、綺麗な水が豊富に流れていた。家から出る汚水は、このきれいな水路の下を流れる2重構造になっていて、綺麗な水が汚れない仕組みがあった。
富田林の寺内町は、高台の平坦なところに切り拓かれたまちだが、まちの南の端は、絶壁になっており、この絶壁は石川という川に面している。水路の水は、絶壁の所に作られた用水路で受けるようになっており、そこから石川に流す仕掛けになっていた。用水を張り巡らせたのは、防火のためだったのだという。まちを門で囲い、水路を張り巡らせ、用水と排水を分離するという知恵が、まちをつくった時から受け継がれてきたのには感心する。

杉山家に入館料400円を払って、女性職員に話を聞き、まず興味を持ったのは、煙突のない炊事場だった。黒塗りのへっついさん(本当は何て呼ぶのかな)があり、高い天井がある。天井は竹で編まれているので、煙が上に抜ける仕組みになっている。天井の上には虫がついてはいけないものを置いて、虫よけ効果のある煙に晒していたようだ。へっついさんの燃料は薪ではなくて、炭を用いていた。炭は、煙が余り出ないが火力が強い。大きな窯では常時お湯を沸かしていたのだという。
炊事場は、大きな梁(はり)で仕切られている。天井よりも一段低い梁によって炊事場が囲われることによって、煙が土間に流れ込まない仕掛けが施されている。使用人だけで70人もいたという杉山家は、最盛期は9連のへっついさんがあったのだという。
土間は、土にフノリと塩(にがり?)を混ぜ合わせて、叩いて固めているらしい。どういう種類の土を使っているのかを聞くのを忘れたし、フノリというものがなんなのか、現時点ではぼくには分からない。土間のことをタタキというのは、叩いて固めているからだという。堅い土間だが唯一、女性のハイヒールに弱く、掘れてしまうということだった。

使用人は、男と女が別々に寝泊まりするように作られ、男の部屋も女の部屋も2階に作られていた。同じ2階でも男女の部屋は広い土間によって隔てられており、行き来は不可能だった。男の部屋は梯子をかけて登るようになっており、登ると梯子を外していたようだ。これは、男が夜、女の寝ているところに行けないようにしていたものだという。女の部屋は、階段を上るように作られていたが、こちらの方は、のぼると階段にフタをして、2階からは開けられないという形をとっていた。
2階に登らせて梯子を取る、という言葉は、男の使用人の部屋から生まれたらしい。

大黒柱は土間のところと杉山家の人々が住む居室のところにあり、土間は松の木で作られている。まったく節目のない太い真っ直ぐな柱は、ものすごく大きな松の木の中心部分だけを使って切りだしたもの。一体どれだけ太い松の木だったのか、想像がつかないものだった。

外から見ると杉山家は平屋建ての家に見える。屋根のひさしが長く、斜めに下がっている。ひさしと上に乗せられている本屋根の間には、白い塗り壁があり、そこには空気取りのような蔵によくある窓がある。外から見ると2階建てには見えない作りをしている。しかし、中に入ってみると土間から天井までの空間は広く、土間から座敷に上がっても天井までの高さはかなりある。さらに1階の上には2階が作られており、階段で上って歩き回っても、こちらも天井まで十分な空間がある。
Aさんは、町人(商人)の家には、2階建てを認めなかったのだと説明してくれた。「外からは1階建てに見える建て方をしているのに、実は2階建ての建物だったというところに、当時の商人の工夫があった」
階級社会の中での庶民の知恵が、建物に色濃く残っているということだろう。

居室の外側には、時代劇によく出てくるような廊下があったが、部屋から部屋へは、部屋を通じて移動するという形になっていた。ジブリの鈴木敏夫さんが、日本建築というのは、まず部屋から作ってそれを組み合わせながら全体にいたるものが圧倒的に多いと語っていた。この建築方法は、ヨーロッパの全体像から細部を仕上げるという方法とは真逆だという。杉山家の家の作りを見ながら、やっぱりこの家も、部分から全体に至る建築というものではないか、という感じがした。
奥の方に小さな茶室があった。畳にして3畳あるかないか。なぜ茶室というのは、いつも小さいのか、この理由はぼくには分からない。
襖に絵が描かれ、壁にも絵が描かれていた。壁に描かれた絵の前に小さな床の間のようなものがある。ここで舞いが披露され宴会が行われていたのだという。舞台と呼ぶにはものすごく狭くて小さい空間がそこにはあった。

説明を受けながら日本建築の歴史に秘められたロマンのようなものを感じた。絵の知識もあれば、ふすま絵や壁の絵にも興味が引かれるのだろうけれど、今回のところは、へえっという感じだけに留まった。
日本の町並みが持っていた空気感。ヨーロッパ人やアメリカ人が江戸時代末期になると日本に押し寄せてきたが、この日本の建造物を見て、どのような感想を抱いたのか。日本には、アメリカやヨーロッパにはない独特の文化や様式が生きていると感じたことだと思う。こういう独特の文化や様式が、明治以降どうして失われて行ったのか。やはり興味はそこに向かっていく。日本の近代化を推し進めた力は何だったのか。日本人は、明治以降何を考えてきたのか。
ぼくたちが生きている現代から、時代を遡りながら歴史を見ていけば、今まで見えなかった現代というものの姿が、新しい形で立ち上ってくるというような気がする。
富田林市は、Aさんたちの努力から始まった寺内町の保存に、次第に力を入れはじめ、充実させてきたように見えた。小さな努力が次第に花開いてきた歩みが、寺内町には漂っていた。
「まちづくりとは、歴史を大切にすることです」
これは、井上ひさしさんが、イタリアのボローニャで聞いて衝撃を受けた言葉だった。富田林市の保存の歩みは、遠いイタリアで発せられたこの言葉をそのまま体現している。

江戸時代から明治維新を経て生まれた社会は、急速に台頭してきた資本主義によって都市を変貌させたが、農村には、半封建的な地主制度が残り、小作人は小作料という名の年貢に苦しめられる、というものだった。明治憲法によって形を整えた政治体制は、資本主義と半封建的地主制度の上に立つ絶対主義的力を持つ天皇制だった。このような社会体制の下で日本は戦争に明け暮れ、最後は、ドイツと手を組んで世界分割の挙に出て連合国によって敗北させられた。この歴史の中で近代化を成し遂げて変遷して来た日本が、何を得て、何を失ったのか。そういうことにも思いが伸びていく。
単に昔が良かったのだとは思わない。日本は、激しく変遷しながら近代化し、戦争に敗北してようやく国民主権という原則を手に入れた。これとあわせて基本的人権と恒久平和を確立して、戦後を出発した。この歴史的変化にこそ重い価値がある。

戦後新しい憲法のもとで確立した地方自治制度は、次第に地域社会の中に民主主義を広げ、充実させていった。この動きと文化財の保護、保存との関係は深い。ヨーロッパでは、都市を守り維持してきた自治組織が、町並みを保存し文化を継承してきた。国民主権は、何よりも先ず国政に対する国民の政治参加の権利にかかわるものであり、国権の由来、国の政治の由来を国民主権に置くものだが、国民生活の隅々に国民主権を行きわたらせるためには、住民自治の発展・充実がどうしても必要になる。国民主権の多くは、基本的人権の確立と不可分のものだが、基本的人権が国民生活の細部にわたって生かされるためには、「民主主義の学校」である地方自治体の発展が不可欠になる。
地方自制度のもとで、住民と行政が団体自治と住民自治を結合させ、次第に文化財を保存し保護してきた。この努力自体がまちづくりだった。この努力の中に、民主的な運動のいろいろな要素が、たくさん入っている。まるでお正月のおせち料理のように。
富田林市の寺内町には、市立の保育所がある。建物は寺内町の商家のような造りになっていた。用地の購入と保育園の建設は、住民と自治体、議員などの参加によって、時間をかけて検討した結果できたものだという。町並み保存と保育所の建設が融合されていたのは、その1つの例だった。

今、日本は、ふたたび国家による戦争への参加という、憲法が否定している時代に突き進もうとしている。しかし、戦争をしない国であってこそ、文化財の保存は実現する。文化財保護にお金を惜しむ後進国である日本において、戦争への参加が、地方自治の破壊と文化財の破壊につながり、戦後努力してきたことを打ち壊すのではないか。5月27日の散策は、そんなことが考えのなかにほのかに浮かんでくる体験だった。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明