簡易委託駅の質問によって変化は何も起こっていなかった

雑感

susa

今日は1日、資料の作成に時間がかかってしまった。
無人駅に切符を販売する駅員を配置できる簡易委託駅について、4年前に一般質問を行ったことがある。この質問に対し山本町長は、前向きな答弁を行っていた。しかし、実現に向けた検討は、一切行われていなかった。山本町長に対する最後の一般質問になったので、果たして答弁がきちんと引き継がれていくのか、不安があった。再度質問をするので、取り組みの資料提出を課長に求めていたが、今日の夕方、課長から「関係資料がまったく見あたらない」という連絡が入った。
「やっぱりな」という感じがした。
議員による一般質問という仕事は、政策的提言を行って実現を迫るという側面が強い。提案したことが実現するかどうかは、質問に対する答弁による。前向きな答弁が出てきたら、実現へ動きが起こるという感触を得る。しかし、答弁がよくても実際には一切動かないということが起こる。
かつらぎ町の役場は、職員が200数十人。小さい自治体だ。自治体としては小さいので、町長の答弁を聞いていた課長が、議会答弁を正面から受けとめて実現に向けて努力を始めるかどうか、ここにかかることが多い。課長が一般質問や議会の答弁をその場しのぎ的に捉えて、「やり過ごせばいい」という態度を取れば、議会答弁が職場の部下に伝わらず、具体化への努力も始まらない。そうなると、良い答弁が生まれても、事態は何も変わらない。

町長と課長が、議会答弁を踏まえ、答弁したことには責任を負うという姿勢を貫かないと、議会でのやり取りは意味を失う。
地方自治体の議会における答弁というのは、地方自治体の最終意思決定機関としての答弁なので、行政の意思を示す場に他ならない。議会で行政当局が、取り組む約束をしたり、方針をあらためるという答弁をすれば、行政の仕事に変化が起こるのは当然だということになる。答弁が履行されないと、議会は議会でなくなってしまう。

不破哲三さんが、日刊ゲンダイでインタビューに答えて、70年代の自民党は、今よりもはるかに国民の支持の大きな政党だったが、国会での答弁は真剣だったということを語っていた。当時の自民党は、日本共産党の議員の指摘を真摯に受けとめて、積極的に対応したということだった。
ぼくにも経験がたくさんある。自治体の発展を願い、積極的な提案をし、その趣旨が伝わって真剣な検討と変化が起こると、議員は仕事に手応えを感じる。語彙処理の提案もそうだった。ごみ処理のシステムを繰り返し提案していると、ある時期から担当職員が極めて真剣に受けとめ、実現への努力が始まり、大きく事務が改善し、やがてかつらぎ町のごみ処理システムとなり、広域のごみ処理システムへと発展していった。ぼくの質問や質疑は、それぞれの時期に要のような役割を果たして、行政施策に反映していった。

無人駅の簡易委託による駅員の配置という施策は、かつらぎ町の駅を軸にしたサービスという点では、要石になるような役割を果たすと思っている。簡易委託の駅を作るだけで大きく変化するものだとは思っていないが、この人的配置を軸にして、努力を重ねていけば、駅を軸にした施策が充実するだろう。かつらぎ町が、この事業の意味をどれだけ積極的に把握できるのか。ここに提案が生きるかどうかの分かれ道がある。

漫然と施策を講じていても、自治体の発展はない。一つ一つの施策をどれだけまちづくり、地域おこしに生かしていくのか。施策の一つ一つはネットワークの核になり、他の施策へとつながっていく。事業には、それぞれ触手がついている。この触手を伸ばし、施策同士がネットワークを形成していくと、まちづくりの形が見えてくる。1つの施策の実現が、重要な結節点になるいう認識をもって、施策の充実に取り組んで欲しい。
質問や提案をやり過ごすのではなく、前向きに、積極的に、提案されたことに触発されるような形で、質問を生かして事業に取り組んでいただきたい。
議会での建設的なやり取りが、よりよいまちをつくる契機になるように。そういう思いでぼくは質問と向きあっている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明