住民自治と団体自治の結合について

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打田に応援に行きオーストリートの南側の住宅街を歩いて訪問した。雨脚が早くなって、激しい雨の中を歩き回ることとなった。靴の中が水浸しになった。
紀の川市の行政運営の仕方を見ると住民不在という傾向が非常に強い。打田中学校の改築のための改築委員会の委員は、すべて教育委員会による委嘱だし、粉河中学校の建設場所は、保護者だけのアンケートでいとも簡単に決めている。
地方自治体は、団体自治と住民自治の結合にある。しかし、住民自治と団体自治との結合がほとんど行われず、行政当局が一方的にことを決する事例が多い。住民の声はなかなか届かず、住民は税金を納めるだけで、自治体の長が大きな権限を行使して自由に使うということすらある。
その域まで行くと地方自治体と封建領主の垣根が低くなって、時代錯誤のような雰囲気さえ生まれてくる。
ある自治体では、選挙に選ばれた首長が、首長の判断=住民の声だと短絡視し、我こそが正義だというように振る舞っている事例もある。
確かに地方公共団体の長は選挙で選ばれた住民の代表だ。しかし、この住民の代表が暴走しないように、住民は同時に行政のチェック機関として議会議員を選出する。住民の代表であるはずの地方公共団体の長を、住民の代表である議員がチェックするという仕組みを考えると、住民の代表同士が牽制しあうところに民主主義の原点があるのだといえる。
首長は選挙に選ばれたのだから、私の判断こそが正しいというのは、民主主義の原点を見失ったものに他ならない。この発想は、ヒットラーが実行したファシズムにさえつながる。
地方自治法や憲法は、関節民主主義である行政と議会の仕組みだけではなく、住民による調節請求権をさまざまな形で認めている。行政と議会、住民による直接民主主義、これらが重なり合って地方自治体は成り立っている。だからこそ地方自治体の本旨は、住民自治と団体自治の結合にあるとされる。
では、住民自治と団体自治の結合は、十分に実現しているのだろうか。
現状からいえば、極めて不十分だという指摘をせざるをえない。
住民自治と団体自治の結合を具体的にこれを実現するためには、未体験の努力を積み重ねていく必要がある。この視点で、自分の住む自治体を見ていくと多くの課題が見えてくる。
21世紀は、建前であった住民自治と団体自治を模索と実験を繰り返しながら実現していく世紀なのだと思う。かつらぎ町が掲げはじめている住民との協働。この方向を具体的に豊かに実現する先にかつらぎ町の活性化と未来がある。


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Posted by 東芝 弘明