象徴天皇制と戦争放棄

雑感

マッカーサーに憲法第9条を提案したのは日本側だった。このことを生々しく紹介したのは、報道ステーションだった。音声テープと映像で再現されたのは、岸信介総理時代の「憲法調査会」の生々しい議論だった。「憲法調査会」の議論を記録した音声テープは、60時間に及んでいる。国立国会図書館でこの音声テープを発見したジャーナリストの鈴木昭典さんは、60時間のやり取りを全部聞き、さらにこの音声テープをCDに焼き直していた。
音声テープによると、マッカーサーに戦争放棄を提起したのは幣原喜重郎総理だった。このことを「憲法審査会」で証言したのは、中部日本新聞の元政治部長の小山武夫氏だった。
一体誰が憲法9条を提案したのか。小山氏のこの問いに幣原元総理は明瞭に答えた。
「それは私であります。私がマッカーサー元帥に申し上げて、9条の条文になった」
番組では、この証言の後、マッカーサーの文書も紹介された。マッカーサーが書いた文書の訳文を番組のテロップを元に書き起こしてみよう。
「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は幣原総理が行ったのです。私は総理の提案に驚きましたが、私も心から賛成であると言うと、総理は明らかに安堵の表情を示され、私を感動させました」

実は、幣原元総理の証言というのは、以前からも明らかになっていたらしい。幣原元総理の証言は「平野文書」(『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』という題の文書)として残されている。この文書を作成したのは、衆議院議員の平野三郎氏(幣原の元秘書官)だ。平野氏による聞き取りは、幣原元総理が亡くなる10日ほど前の1951年2月下旬に行われた。「平野文書」は、1964年2月の「憲法調査会」に参考資料として提出され、正式に採択されている。
以上書いたいきさつは、「Love & Peace」というブログに詳しく書かれている。

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このブログを読めば、幣原元総理が、なぜ憲法第9条をマッカーサーに提案したのかがよく分かる。ブログは長く詳しい。ぜひお読みいただきたいが、要約して紹介したい。

マッカーサーは天皇制の存続を容認していた。しかし、ニュージーランドやオーストラリアが、ソ連に同調して天皇制の廃止を求めていたらしい。アメリカが天皇制を容認する方向で動くと国際世論から孤立する可能性があった。
幣原氏はこう語っている(「平野文書」からの抜粋)。

「これらの国々(ニュージーランドやオーストラリア)は、日本を極度に恐れていた。日本が再軍備をしたら大変である。戦争中の日本軍の行動は余りに彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。日本人は天皇のためなら平気で死んで行く。恐るべきは「皇軍」である。という訳で、これらの国々はソ連への同調によって、対日理事会の票決ではアメリカは孤立化する恐れがあった。
この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である」
「豪州その他の国々は日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である濠州その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることが出来る。
 この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。尤も天皇制存続と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。元来天皇は権力の座になかったのであり、又なかったからこそ続いてきたのだ。もし天皇が権力を持ったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を護持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に還ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにもよいと僕は思う」

幣原氏は、こういう考えのもとで、マッカーサーの命令によって、戦争放棄と象徴天皇制を受け入れるのが一番いいと判断したのだ。

戦争放棄を実現し、明治以前の権力を握っていない天皇制(象徴天皇制)に戻せば、天皇の戦争責任が追及されない。しかもこの方針をアメリカが押しつけたということになれば、国体護持を唱える国内の勇ましい人々をも抑え込むことができる。──これはすごい考え方だったと思われる。
しかも、戦争放棄を実現すれば、資本主義と共産主義とのたたかいにも巻き込まれず、アメリカの戦争にも巻き込まれないと考えたということだ。
幣原氏の深謀遠慮がここにあった。

「Love & Peace」というブログは、憲法第25条の考え方も「GHQの原案にはなく、日本側が日本の民間団体、鈴木安蔵、高野岩三郎らの「憲法研究会」の憲法草案要綱にあった内容を盛り込んだもの」だと紹介している。

以下はぼくの感想。
歴史は、たえず旧社会の母斑を色濃く引き継ぎながら、同時に新しいものをつけ加えて進歩していく。絶対主義的な天皇制だった戦前の体制で不思議に感じていたのは、天皇に責任が及ばないような配慮が行われていることだった(それでも天皇の戦争責任は、“ある”と思われる)。たとえば、慣習として御前会議で天皇は発言しないようになっていた(実際には何度も重要な発言をしているが)。
こういう配慮は、封建時代に移行しても続いてきた天皇制が、政治的権力からは遠いところにあり、責任を問われなかったという歴史が影響しているようだ。幣原氏が考えた象徴天皇制という体制は、いわば明治以前の天皇制に戻すという考え方でもあった。
戦争と天皇制が深く結びついた戦前の体制から転換を図るためには、国民の平和への願いを体現した戦争放棄の考え方と象徴天皇制を結びつけることを考えたというのが面白い。戦争放棄と象徴天皇制は、大日本帝国憲法からの転換として、いわば必然的な道として選択されたものだったということだ。しかも、幣原氏は、戦争放棄は、アメリカの戦争などに日本を巻き込まない力を持つことを見抜いていた。
もちろん、戦争放棄を生み出した最大の力は、もう二度と戦争を繰り返してはならないという第2次世界大戦の極めて深い教訓から生み出されたものであり、世界史の到達点が色濃く反映したものだった。こういう歴史のうねりがあったからこそ、保守政治家をして戦争放棄を選択させることになったということだろう。
戦後の原点は、戦争放棄にあり、しかもこの選択は保守的な政治家も含めた選択だったというところに歴史のダイナミズムを感じる。
今、安倍政権が天皇元首化と戦争できる国に向けて暴走しているが、この道は、戦後政治の原点の否定と挑戦になっている。戦前に戻すことは、保守政治の主流も望んでいなかった。これは、日本共産党も自民党の多くの人々も、戦後の原点を共有して日本国憲法を守るという立場に立てるということを示している。

戦争放棄と国民主権、基本的人権の尊重、幸福追求権、議会制民主主義、地方自治。さまざまな人々の思惑が入り混じって成立した日本国憲法は、保守政治の意図を遙かに超える生命力をもってきた。この憲法に盛り込まれた精神や根本思想は、21世紀に真っ直ぐにつながるだけの進歩性をもっている。歴史は、旧社会の母斑と新しいものを共存させながら色々なものを生み出していく。時代が進んでくると新しい価値を含んだ進歩的な精神が、今度は時代を牽引していく。
もちろん、現局面でいえば、国民主権と相いれないさまざまな歴史の問題が、解決されず表舞台に出てきている。決着の付いていない日本の侵略戦争問題やアメリカの支配と日本の従属の問題などは、歴史を進歩させる上で避けて通ることのできない重大問題として国民の前に立ちはだかっている。
歴史的に決着がついていない問題は、憲法を一つの焦点にして争われつつある。21世紀になって問われているのは、まさに戦後の原点に他ならない。
戦後の原点を守って日本を発展させることが、未来をひらく。日本国憲法にもとづく国づくり、地域づくりは、まさに未完の大事業。日本国憲法にもとづく国づくりの先に、自由と民主主義がひらく新しい国がある。一部の人間が富を独り占めにし、多くの国民が格差と貧困の中で苦しむような時代から、物質的な豊かさを国民が分かち合える時代への転換。少なくとも日本国憲法の徹底した実現は、そういう未来への扉を開く。


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雑感

Posted by 東芝 弘明