『なごり雪』

雑感

kisya

伊勢正三さんが作詞作曲した『なごり雪』は、いろいろなアーティストによって歌われている。不思議なのは、同じ歌詞なのに情景が浮かばない歌い手がいる。
1975年という時代の空気を知っている人の歌う『なごり雪』には、イメージの広がりがある。若い人が歌うと言葉にイメージが伴ってこない。
「かぐや姫」の時代に伊勢正三さんが歌っている『なごり雪』がやはり一番胸に響く。でも、昨年12月24日にTBSで放映された小田和正さんの「クリスマスの約束」で歌った『なごり雪』も胸にしみた。
小田さんは、「かぐや姫」が全盛期だった頃、前座を務めていて、「かぐや姫」とともに全国を飛び回っていたという。同じ時代を生きていた人、しかもビッグバンドだった「かぐや姫」の人気をすぐ側で見ていた人の歌う『なごり雪』には、小田さんの独特の雰囲気があった。
汽車がホームに入って来るのを2人で待っていて、そこに雪が降っているという情景がありありと浮かんできた。

汽車がホームに入ってくる、しかも東京のある駅に、というのは、一体いつの時代のことだろう。昔は、蒸気機関車でないものも汽車と呼ばれていたという指摘もある。だから汽車はSLではないのかも知れない。
2番の冒頭の歌詞を聞くたびに、映画『また逢う日まで』のガラス越しのキスシーンが重なってくる。歌そのものは、さよならという言葉が怖くて彼女のことを見られないという情景を歌っているのに。
歌は、ほんの少し情景を描写しているだけなのに、どうして豊かな物語が目の前に展開していくのだろうか。歌詞の力だけではない。メロディーの力と繰り返されるリフレイン、これらが聞く人々にそれぞれの『なごり雪』を形成させてくれる、ということなのだろうか。

この『なごり雪』を聞くたびに歌が生まれた時代のことを考えてしまう。1975年は、全国から蒸気機関車が消えた年になった。和歌山線に走っていた蒸気機関車もその数年前に最後の運行を終えている。兄たちが高田という地域の高台、陸橋が見えるところから撮った写真が残っている。
時代を超えて歌われる普遍性を持った歌もあれば、その時代を見事に切り取ったような歌がある。時代を超えて新しい人々にバトンを受け継ぐように歌い継がれて、新しい生命が吹き込まれていくような歌にも深い魅力があるけれど、『なごり雪』のようにその当時の時代を今に蘇らせてくれる歌にも深い魅力がある。
『なごり雪』は、その当時10代や20代だった人々を、その時代に連れ戻してくれる力を持っている。「かぐや姫」の伊勢正三さんの歌が一番良いのは、『なごり雪』が歌い始められる前のイントロにもある。あのギターの音色が流れると、目の前に駅のホームが見えてくる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明