政治と経済の支配

雑感

日本は、資本主義社会として壊れ始めている。今起こっている人口減少は、「我亡き後に洪水は来たれ」という資本主義の利潤追求の結果として引きおこされている。人間としてまともな社会生活を送れないような労働環境のもとでは、家庭を安定して形成できない。少子化の社会的要因の一つは、労働環境と家庭生活との過酷な関係にある。人間の意識は、社会的な存在を反映して形成される。日本社会が人間を排除するような仕組みとして機能している中で、人間がバラバラにされ、この状況が人間の意識にさまざまな形で反映されている。存在が意識を規定するので、人間関係の壊れ方は無自覚的な場合も多い。人との関わりをできるだけ小さくし、社会を拒絶するような傾向は、過酷な経済状況とそれをつくり出した政治の反映として起こっているのではないだろうか。

人間は、政治と経済と文化及びそれを包括した社会のもとで生活している。この中で人間は何らかの文化と経済に関わり、自らの喜びを見いだし社会生活を送っているが、地域社会を拒絶したり、拒否したりする傾向を持っている人々が一定数存在する。高齢化社会の中で国勢調査が非常に困難になっている側面もあるが、何度訪問しても国勢調査に協力してくれない若い世帯がある。ベッドタウンとして発展してきた岩出市を歩くと表札のない家がかなり多いが、これも地域社会を拒絶している表れなのかも知れない。

人間は、政治と経済と文化から逃れられず、それを包括して形成される社会から逃げ出すことはできない。政治に無関心で、自分たちの世界を形づくって、自由な生き方をしているように見えても、政治と経済と文化という「釈迦の手のひら」から人間は自由になることはできない。政治に関わらず、関心も持たず自由に生きていると思い込んでいても、政治と経済は、国民の支配の仕組みを貫徹していく。政治的無関心でいると、自分たちの首がじわじわと絞められていくのを感じられない。カエルの水温を上げていけば、カエルは気がつかずお湯の中で死んで行くというお話しがあるけれど、政治的無関心はこういう状況を引きおこす。同時に、権力者たちは、事実を把握され、政治と経済、社会に対して変革を求めて動く人間が出てくることを恐れている。こういう傾向を小さく抑え込むために、政府を擁護する論調を盛んにふりまき、フェイクをばらまいている。支配の仕組みの一つである国家に対して、立ち向かっていかなければならないのに、攻撃の矛先が国家に批判的な勢力に向くように議論を組織している。
日本は自由で平和だという一昔前のイメージの中で生きているのだろうけれど、このイメージは過去のものになりつつある。拍手を持って、ファシズムや独裁を受け入れ、自分たちへの支配を「どうぞ強めてください」という結果しか引きおこさないのに、政府を一生懸命擁護する人々を組織している。

ネットが、真実を知る一つの方法になった。権力者は、このネットの威力に驚き、恐れながらも、ネットを利用する研究を深め、ネット右翼というものが組織されるようになった。安倍さんが明らかにウソをついて、公文書を改ざんさせている実態が明らかになっても、ネットの世界では、徹底的に安倍さんを擁護する論調が溢れている。読んでいて恥ずかしくなるようなネット右翼君の論調がてんこ盛りだ。これは明らかに経済的に組織されている。動かしがたい事実を前にしても、安倍さんを擁護するコメントが絶えないのは、ネット右翼の組織化という文脈で理解すべきだろう。いまやネットは、にせ物の情報で溢れかえり、真実を伝える情報がその中に埋まるようになった。ネットを見ていれば真実が分かる時代は過去のものになり、テレビを見ないでネットを見ている人々に右翼的言説への同調が増えている。

会社という組織に派遣という形で関わり、ほとんど「社員」とも口を利かないで黙々と仕事をこなし、家に帰りネットの世界に閉じこもって生きている人がいるとしよう。安倍さんを含む政府は、こういう人に人間的な関心は示さないが、政治と経済の仕組みによって、これらの人々を「派遣」という枠の中に縛り付け、低賃金で長時間働かせる仕組みについては、執拗な関心と執念をもって実現しようとする。安倍さんたちにとっては、財界が求める働き方の仕組みが、個人に対しどのような過酷な労働を押しつけようと、そんなことは知ったことではない。支配の側にいる人間は、国民の中で引きおこされている結果には関心をもたず、財界が求める制度改正に情熱を傾ける。

働いて生きるのが精一杯という人々の視野には、政治の問題が入ってこない。そんなことを考える余裕もないし、そもそも自分の暮らしとどう結びついているのかも見えない。政治から遠ざかれば遠ざかるほど、経済的に富から見放されれば見放されるほど、政治と経済はそういう人に支配の枷(かせ)をはめていく。派遣労働による過労死は、政治と経済によって人間が殺されることを意味しているが、自分の働いている現場が非人間的であっても、それは変えることのできないもののように映っている。そういう人にとって政治は遠い。自分の存在からすれば、政治が変わるなんて思えない。選挙と労働との関係も見えない。社会の末端で、蚊のようにすりつぶされて死んで行く人間に対し、政治や経済は冷酷に対応する。

日本の会社の中には、明らかに労働基準法を踏み破っているものが多い。法律違反を知らないまま会社を経営しているところも多い。社会の仕組みを少し変えれば、会社が労基法を守るように変化するだろう。会社設立の条件に労働法制を守る仕組みを組み入れ、それに伴うコストをきちんと計算して、会社経営にはこれだけの責任と負担がともなうことを明らかにし、同時に中小零細企業には、法律を遵守するための支援を整えればいい。労働基準法を大企業から中小企業、公務労働にまで徹底できる社会制度を整えれば、日本の現状を徐々に変えることができる。労働者が80%も存在する社会なのだから、この労働者を守る仕組みを整えることが、国民を守ることになる。

日本共産党の国会論戦は、政治と経済によって押しつぶされたり、すりつぶされたりしている人々の具体的な姿を国会の中に出して、労働法制の破壊が、こういう実態を生み出していることを告発し、制度の是正を求めてきた。こういう努力をしている政党は少ない。国民が政治を忘れても、無関心であっても、政治と経済が国民生活を破壊することを日本共産党はよく知っている。人間の尊厳まで破壊されている現状を告発し改善を求めるのは、日本共産党の使命でもある。


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雑感イメージ,ネット,政治と経済

Posted by 東芝 弘明