事実をありのままに見ること

雑感

事実をありのままに見るためには訓練が必要だ。自分の認識が常に主観を伴うことを十二分に自覚し、たえず自分の認識と事実とを比較する用意がないと、自分の認識を事実にもとづいて変更することができない。ほとんどの人間は、間違っていると思われるような認識や事実に出会うと、自分の認識(主観)に照らして認識や事実をはねのけてしまう。ほとんどの人は、出会った認識や事実が間違っていると思い込む。この傾向は避けがたい。
しかし、反発して否定したことであっても、考え直す「幅」が必要だ。出会った認識や事実に対しもう一度再検討を加える「幅」があれば、事実を受け入れることができるようになる。訓練というのは、こういう行きつ戻りつの再検討のことを指している。再検討を繰り返していけば、思考方法に幅がでてくる。
人間の認識が、必ず主観にもとづくものであり、この認識には誤りが含まれていることを自覚し、出会った認識や事実を多面的に検討して、受け入れる用意があれば、上に書いたようなことはできる。

もう一つ重要だと思うのは、反発した認識や事実であっても、その後再検討を加え、自己の認識を改変することを積み重ねることだ。そうすることによって、自分の認識の発展が起こる。自分の認識を改変し発展させることに対し、喜びを味わえるようになると、事実をありのままにとらえるものの見方に接近できる。認識を発展させて真理に近づくことに対する「喜び」を味わえるようにならないと、事実をありのままにとらえるという柔軟な思考は身につかない。自分の認識の変化を楽しめるようにならないと、事実をありのままにとらえるというものの見方には接近できない。主観と事実の関係は、行きつ戻りつしながら変化するプロセスの中にある。事実をありのままにとらえて認識を発展させるプロセスは、一つの運動である。


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雑感

Posted by 東芝 弘明