連関と連鎖、分析(1)

哲学,雑感

昨日哲学のことについて書いたので、しばらく哲学にもとづく研究の方法について書いてみたくなった。
まず最初は、連関と連鎖及び分析について。
事物は、すべて連関と連鎖の中にある。人間は自分にとって未知の問題にぶつかったときに、漠然としてだが全体の姿をとらえるし、事物がつながりあい関係しあっている姿もとらえている。自分にとって未知のもので、人類にとって既知のものという関係の事物を理解するのは、そんなに難しいことではない。自分にとって未知のもので、人類にとっても未知のものを把握するのは、極めて難しい。例えば、宇宙の始まりはどうであったかという研究になると、観察から得られている事実(現象)をもとに理論的な考察によって事実の中に分け入るしかない。不確定な仮説と不確定な仮説の積み重ねの中で説を唱えるということになる。それが正しいかどうかは、観察による事実の確認によってなされる。分析の仕方の基本はおなじだろうけれど、人類にとって未知のものを研究するのは、長い時間と丹念な努力が必要になる。
社会問題の多くの場合は、自分にとって未知のものだが、人類にとっては既知のものという関係が圧倒的に多い。ただし、人類にとって既知のものであっても、すべての事実が解明尽くされている訳ではなく、事実をどう理解して真理(客観的事実に依拠した物事の本質=本質は抽象的概念ではなく事物に内在している。本質は現象する。本質は物質の中に存在する。)に到達するのかという点については、解明され尽くしている問題はないといってもいい。
事物に対して深い認識を得るためには、事物を構成している要素に注目して、分析を始めなければならない。人類にとって既知の事物の分析は、機械の分解に似ている。具体的な事物の要素を分解して、一つ一つのパーツに分けてそれぞれを理解する。既知のものを分析するために役立つのは、そのものに対して書かれている書物や情報だ。分析する行為というのは、具体的には情報収集と文献の読み込みという姿になる。

哲学,雑感

Posted by 東芝 弘明