連関と連鎖、分析(2)
分析とは何か。介護保険を例にとってみよう。
介護保険と言われて何を連想するだろうか。保険料があり介護保険サービスがある。サービスを受けたら利用料を支払う。その前に介護保険サービスを受ける前に介護保険サービスを受けることのできる対象かどうかを見極めることが必要になっている。認定の調査は「要介護認定」のための調査であり、自治体の職員(かつらぎ町の場合は臨時任用職員)が認定審査のために訪問している。調査員による訪問調査によって認定の書類が作成され、この書類に医師の意見書が加わり、介護認定審査会で審査が行われる。認定審査会は、伊都橋本の橋本市周辺市町村圏組合の中に設置されており、医師2名、保健・福祉分野の学識経験者3名で構成された5人のメンバーで、「『コンピュータによる一次判定結果』『認定調査票(特記事項)』及び『主治医意見書』の内容をもとに、どのくらいの介護が必要かを総合的に審査」(橋本市周辺市町村圏組合ホームページ)されている。
社会の既知の問題を分析するというのは、上記のようにその事物の中に分け入っていき、一つ一つの事柄を詳しく理解することから始まる。このときに重要なのは、事物の構成要素をできるだけ具体的に知るということだ。それが後々生きてくる。ぼくの場合は、たえずイメージできるように事物を把握するよう努めている。介護保険制度は、全国一律の制度だが、この制度を担っているのは人間であり、人間が社会の中で具体的に活動をしてこの制度を運営している。介護保険の制度解説は、できるだけこういう具体的な姿を説明せず制度の仕組みを説明する。何の知識もない人は、まず介護保険の仕組みを制度解説などを通じて理解することから始まるだろう。
ぼくは、議員として介護保険制度のことを理解しようと試みているので、一般の人が理解しているところに留まらないようにしている。
保険料の場合の分析方向を書いてみよう。
介護保険料がどのような審査を経て成立したのか。なぜ他の自治体との比較で保険料が高いのか、保険料が高くなる要因はどこにあるのか、これ以上高くなる場合、保険料を抑制するためには何をなすべきなのか。全国の自治体で高騰する保険料に対し、どういう対策を講じているのか。こういう視点で保険料問題を追及していく。この追及が具体的な分析の方向になる。
介護認定の仕組みについても同じことがいえる。
調査員による認定作業は、かつらぎ町の場合臨時任用職員が行っている。認定調査のために調査員はさまざまなお宅を訪問している。「こんにちは」と言って訪問をした場合、高齢者の一人暮らしの人が、「はーい」と言ってすぐに出てこられるのか。約束通り認定調査ができるのか。ことは極めて具体的になる。認知症を抱えている高齢者が一人で生活していて、そこに訪問すること自体にすでに困難が横たわる。なぜこういう具体的な姿をとらえる必要があるのかというと、具体的な姿を知っていないと介護認定の調査委員が何人必要なのか、仕事に見合う給料を得ているのかと言うようなことが見えてこない。調査員の調査にかかる費用は、どういう仕組みで支払われているのかというのも重要な問題になる。
認定調査会についても同じだ。
橋本市周辺市町村圏組合の中に設置されている認定調査会は、医師2名、保健・福祉分野の学識経験者3名で構成された5人のメンバーで審査が行われるということだが、コンピューター判定以降、人間が行う審査については、すべて申請者の名前を伏して審査が行われている。医師に参加してもらうために開催日は木曜日ということになっている。5人の人間を拘束して1回の審査会で何人の審査を行っているのかということも重要になる。審査会は何チーム編成され、費用はいくらかかり、この費用は介護保険会計の中からどういう形で支出されているのか。興味深い。
事物は、連関と連鎖の中にあり、すべての事物は運動の中で存在している。介護保険がスタートしたのは2000年だった。その時から18年が経過した中で、認定調査の制度も認定審査会の制度も介護保険そのものも大きく変化している。変化は制度の改正によって行われてきたが、これらの制度改正は介護をめぐる具体的な状況下で、「これに対応するために」変化させてきたものである。この歴史的な経緯を踏まえて介護保険を把握することも重要になる。歴史的経緯を調べることは、その事物を「運動の中でとらえる」ことと深くつながっていく。制度の変化を把握することは、介護保険の現在の姿を把握することになる。すべての事物には、生成と発展の過程があり歴史がある。生成と発展の歴史を踏まえることが、現在生きて動いている制度を深く把握することに繋がっていく。
人間の認識を深める過程は、分析と総合を繰り返しながら進んでいく。分析をしてから総合するというようなバラバラな形にはならない。人間の分析はたえず分析しながら総合するということにならざるをえない。もしそういうふうにとらえられない人がいる場合、その人の認識はいつも極めて一面的なものになってしまう。重要なのは、行きつ戻りつしながら分析と総合を繰り返し、物事を立体的、構造的にとらえ、俯瞰することにある。枝葉に分け入りながらたえず全体像に立ち返る努力をすることが、物事を深くとらえることへと繋がっていく。
事実をありのままにとらえることの重要性は、この前に書いた。ありのままにといらえることには難しさがある。しかし、物事を具体的に分析しかつ総合しながら事物をイメージ豊かに立体的に把握する努力を行っていくと、自分の認識が具体的な事実を前にして変化して行くのがよく分かる。この認識の変化が面白い。この認識の変化の中には、自分なりの発見と感動がある。なぜそういうことになっているのかという問題意識に対し答えが見えたときの喜びは大きいし、自分の認識が訂正されて新しい認識に置きかわるときの発見は大きい。謎解きのような面白さがある。
事実をありのままにとらえる上で大切なのは、「肯定的理解」だ。マルクスは「現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、その必然的没落の理解を含み、」と書いた。事物をとらえるときには、肯定的に理解しながら批判的にとらえる、その事物の否定(その事物が現在の状態を否定して次のものに変化するということ)さらに必然的に没落していくことも含めてとらえるという意味だが、この認識を同時に行うことは難しい。研究の結果、こういうことを同時に平行して行うことにはなるのだが、まず最初に重要なのは、徹底的に肯定的にとらえるということだ。徹底的に肯定的にとらえる努力なしには、事物をありのままにとらえるというところには接近できない。
徹底的に肯定的にとらえる努力をしたのちに、批判的に検討を加えるというような姿勢が必要になる。批判的な検討はどうしても必要だ。
なぜか。
事物は生成・発展・消滅の過程にあるのだから、すべての事物は必ず変化して行く。変化とは、現状の否定を含む。事物そのものの運動を把握するためには、事物そのものの批判的な検討が必要になる。研究の中で事物の発展方向が浮き彫りになってくれば、事物を運動の中でとらえたことに近づいていることを意味するだろう。
自分にとって未知のもので、人間にとって既知のものを調べる場合でも、事物のすべての側面を人間は理解している訳ではない。自分の調査によって誰も明らかにしていなかった介護保険の抱えている具体的問題を発見することはある。こうすれば制度は改善できるということを発見すれば、それは質問と提案に繋がる。ぼくの質問の中には、こういう方法で問題点を明らかにして、改善を求めた例がいくつも存在する。
公の施設と公共的な施設の違い、普通財産と行政財産、公の施設との違いを明らかにしつつ、かつらぎ町における施設管理の在り方を提案したことがあるが、ぼくの提案はその後のかつらぎ町の施設管理の在り方を変える出発になった。
分析について書くべきことは、まだまだたくさんあるだろうが、議員活動で得た調査の仕方、分析の仕方というのはこういうことだ。
書いていることは難しいだろうか。果たしてこれは、誰かの役に立つだろうか。











ディスカッション
コメント一覧
介護保険始まってから20年経つんですね。私も今年から保険料払うことになりますよ。少子高齢化の影響だから仕方ないですが・・・。未だに介護殺人とかが多い現実を見ると、20年前と比べて楽になったのかとても疑問に思いますが・・・。