中間層の没落

雑感

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気になっている言葉の一つに「中間層の没落」がある。
「中間層の没落」で真っ先に思い浮かぶのは橋下徹さんが率いた維新の会だ。
古い政治家が支配する議会と既得権益にどっぷり浸かった公務員とその役所、労使一体でなれ合っている労働組合。これら日本を支えて利益を共有してきた既存の体制を攻撃し、その一層を呼びかけたのが維新の会だった。なかでも、この維新の会が徹底的に攻撃したのは、「公務員天国」だった。議会や議員とのたたかうときは、日本共産党も既得権益を支える既成政党の一部だった。

この維新の会を熱烈に支持している人々は、どういう人々なのか。ファインダーの中の画像がぼけたまま焦点が合わない感じがしていた。知りたい対象がぼやけているところに入ってきた言葉は「中間層の没落」だった。
日本は一時期一億総中流社会と呼ばれていたが、「中間層の没落」というのは、真ん中より上の層ではないだろうか。
「中間層の没落」という言葉が具体的なイメージと重なったのは、織屋を営んでいた人、元銀行員の方が維新の会を支持していたからだ。庶民よりも所得が高く経済的にも成功していたような人々が、バブル崩壊から今日に至る過程の中で、織屋さんは、本人の責任ではなく、不渡り手形をつかまされて廃業に追い込まれた人だった。銀行員は、銀行の吸収合併で銀行員でなくなった人、大きな銀行に勤めていたが出向させられ出向先で退職した人などだった。こういう人々が一致して語ったのは、公務員の特権だ。
「橋本さんの話を聞いていたら私の気持ちに一番ぴったりくる。よう言うてくれた。公務員が一番腹立つ」
「公務員には特権があるって。権力をもってるでしょ」
話をしていると、こういう言葉が返ってきた。

公務員は、没落していない中間層だろう。「公務員天国」という言葉に対する強烈な共感は、自分たちと同じか、自分たちの生活より下だったはずの公務員がぬるま湯に浸かったままで、自分たちは苦しい生活に追い込まれていることに対する怒りなのかも知れない。没落した中間層が、没落していない中間層を徹底的に攻撃している。これが公務員バッシングに対する共感ではないだろうか。

アベノミクスの中心部分である新自由主義的な経済政策は、金融資本中心のサプライサイドの経済政策で、アベノミクスの場合は、量的金融緩和や規制緩和、労働法制の破壊と社会保障の破壊を進めてきた。「中間層の没落」というのは、生活破たんを意味しない。中間層の所得が減り、仕事内容としても閑職に追いやられたり、出世できなくなったりして生活水準が下がってしまった人々だろう。こういう人々が、既得権益の打破に共感し、公務員攻撃に拍手を送っているのではないだろうか。これらの人々の中には、外国人に対する排外的な意識を強めている人もいるだろう。

ここに書いたことは、まだ十分考え方が煮詰まっていない。関係する本なども読んでいないので、書きながら少し類型的すぎるような感じもしている。「中間層の没落」とは何か。という問題については、なぜ新自由主義的な政策の下で中間層が没落し、格差と貧困が拡大したのか。なぜこれらの人々は、既得権益にどっぷりと浸かっている問題に目が行き、公務員改革や公務員改革に直直結する統治機構の改革、大阪なら大阪都構想などの「改革」に拍手を送るのか。大企業とアメリカによる既得権益には目が向かないのはなぜか。それは、「没落していない中間層」に対する「没落した中間層の」怨嗟によるのか。
「中間層の没落」と思われる人々は、一体どういう人々で、どのような意識動向をしているのか、深めるべきことが多い。

最近、ぼくの目の前でも政治的な考え方をカミングアウトする人が増えてきている。カミングアウトする人々の中には、右寄りだったり維新支持だったりする人が多い。維新の会のような相手を徹底的に攻撃する風潮は、ネットの世界では驚くほど広がりを見せ、日本全体が弱者に対する攻撃を露わにする傾向をも生み出している。社会保障攻撃が、一定の人々の共感を呼んでムダな支出はなくせというような主張にもなっている。これも中間層の没落の中から生み出されていることなのだろうか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明