人生の羅針盤

雑感

戦争法案に対し、興味も関心もない人は、まだまだ多いと思います。
戦争なんて起こらない。自分のまわりには、そんなこと語る人もいないし、話題にもなっていない。
毎日、生活するのに精一杯だし、仕事は忙しいし。

News。見ないですよ。
それよりもバラエティの方が面白いし、良いドラマもやっていますよ。
国会に人が集まっているのなんて知らないし、そんなことしても世の中変わらないでしょう。

こういう人は、多いと思います。

国家は、国民のために存在しているのではありません。国家は、国民を統治するために存在している権力であり、国家権力に近づけば、利益にありつける人々の支配の道具でもあります。だからこそ、現代憲法は、国家の手をしばり、国民の権利宣言を行っているのです。国家が国民のための道具になるためには、権力の暴走をくい止める仕組みが必要だということです。

日本国憲法9条は、「国の交戦権は、これを認めない」と書いています。
安倍政権は、この国民に対する権力の縛りを解放して、9条を踏みにじって戦争をしようとしています。
そんなばかな、と笑わないでください。
国会ではまさにこのことが議論されています。

70年続いてきた平和が、安倍総理という権力者を中心にして、踏みにじられようとしています。
このときに、心ある人々が団結して立ち上がりつつあるのです。国会に集まっている人々の姿にこそ、真実があります。

水に漬けられてもカエルは死にません。
少し温度を上げた水に漬けられてもカエルは死にません。
もう少し温度を上げたぬるま湯でもカエルは死にません。
一体どれぐらいの温度まで水温を上げたらカエルは死ぬんでしょうか。
人間はカエルよりも賢いので、ぬるま湯の温度を上げつつ、熱いよと言えないような空気を一生懸命作ります。
私の立場上、反対とは言えないんでね。そこんところよろしく理解してください。
熱くなってきたら大変だと思っている人も、「私の立場上、大きな声では言えないんだか」という人々をたくさん生み出して行きます。

第2次世界大戦がそうでした。
『少年H』という映画では、アメリカの写真を持っていた少年Hのことを友だちが憲兵に話したので、少年Hのお父さんは何日も警察に引っ張られて、拷問を受けました。
この話は、映画の中の世界だけではありませんでした。
ぼくの知人(随分年配の方だったのですでに亡くなっています)は、駅で本を読んでいたら、いきなり警察に引っ張られて,1週間取り調べを受けました。ようやく家に帰ってきた時、姉が家から飛び出してきて、弟である彼にしがみついて泣き崩れました。
「今朝、5時頃、警察がいきなりやってきて、畳までひっくり返して何かを調べて、出ていった」
ものの言えない体制というのは、徹底的な協力体制の構築と有無を言わせぬ監視の目によって支えられていたということです。さらにこの体制の根底には、人間の命を踏みにじる暴力がありました。
赤紙が来たら「万歳」といって出征する仕組みの後には、凶暴な権力があったということです。
これが、熱いお湯だと分かっていても突入しなければならなかった時代の仕組みでした。

少しずつ、ぬるま湯の温度を上げる仕組みは、政府を中心に作られつつあります。特定秘密保護法、国家安全保障会議、有事法制、マイナンバー制度、安全保障法制。大学への日の丸と君が代の強制、道徳教育の教科化などなど。
カエルを順番に殺しても文句が言えない仕組みはかなり整いつつあります。
この仕組みが、ばれていないのは、刃物を磨いているけれど、それを国民に見せていないからです。
昨日に続く今日があって、自分たちのまわりには、生活上の苦労や幸せがあって、戦争の影は、受け身的な人々にはなかなか見えません。
まわりを見て欲しい。
日常生活の延長では、見えないものの方が遙かに大きい。国という存在が、戦争への暴走を始めるきざしは明確に存在します。少し社会に目を向ければ、日本が大変な状況に立ち至りつつあることは見えてきます。

見ないで生きる道はあります。
しかし、見ないままの人生は、やがて戦争に直面した時、政府の宣伝に簡単にだまされる人生になるかも知れません。
70年前、国防婦人会という組織や町内会には隣組という組織がありました。
一生懸命国策に従って、「欲しがりません勝つまでは」とか「鉄類の供出」とか国のいうがままに立ち働いて、国民を監視していました。
多くの人は疑問に思わず、国策に従って働いていました。
現代の目から見ると、それは、北朝鮮の国民と酷似している姿だったと思います。
多くの人が、そういう生き方をしていました。戦後、それらの人々が自分たちのしてきたことを反省したというような話は、ほとんど聞いたことがありません。

自分のまわりの存在にのみ、やさしく心を配り、空気を読んで静かに暮らしていると、やがて国家の計画に従わされる時代がやってくるということです。役場の近くでいると、役場のまわりには多くの人の結集があります。役場が住民本位でないことをしても、役場のまわりに集まっている人の多くは、役場を批判しません。少し声をひそめて、噂話をするぐらいです。こういう人々にも立ち上がって戦争に反対して欲しいと切に思います。
政治と社会が軍国主義的になり、戦争に国民を駆り立てはじめても、それに積極的に従い、協力する人々の存在が、現在の日本にも存在するような気がします。「長いものに巻かれろ」という生き方を自身の体に染み込ませて、生きている人はかなりの数に上ります。「長いものに巻かれろ」という言葉と「空気を読む」という言葉の中は、深くつながっています。「空気を読む」という言葉には、ものすごく古い日本の社会的風土がまとわりついています。

「なぜ第2次世界大戦のときに、大人は戦争に反対しなかったの?」
子どもからこういう問いが出ることがあります。
この問いかけは、現在もなお、多くの人への問いかけとして深い意味をもっていると思います。
自分の身のまわりのことだけに目を奪われるのではなく、政治と社会で起こっていることに目を向けてください。
自分の人生を、主体的に生きる道が必ず見えてきます。それは、時代の真実を見極め、人間として豊かに生きる道につながるものです。

ぼくは、18歳の時に日本共産党に入党しました。高校を卒業して15日目のことでした。自分の人生を主体的に生きたい。自分で判断して生きたいという思いが入党の動機にありました。人生という航海を羅針盤を持って生きるという言い方に共鳴していました。
羅針盤を得たのか?
羅針盤を得た。
──これがぼくの答えです。
この羅針盤は、市町村合併のときも合併の本質を見抜く力を与えてくれました。
戦争への時代が始まりつつある時に、戦争に積極的に協力する人々という存在も見えてきました。ぼくは今こういう人々の対極に立っています。
知識で判断しているのではありません。生き方として、ひと筋の道を歩きたいと思っています。

母は、病気になる前に日本共産党に入党していました。しかし、党の活動は全くできる状態にはありませんでした。母が死んでから10年ほど経った時に、初めて母の入党のことを母の元同僚の女性から教えてもらいました。母は小学校の教員でした。ぼくが日本共産党員として生きることを選んだように、母は日本共産党を選んでいました。17歳の時に死んだ母は、ぼくと対等の人間として同じ目線で話しをしたことはありませんでした。中学校2年の時に闘病生活に入った母にとって、ぼくは子どものままだったと思います。
日本共産党員になって生き、日本共産党の議員として生きてきたことを母は全く知りません。しかし、ぼくの知らないところで、日本共産党を選択した母の生き方の根っこには、ぼくと同じものがあり、つながっていたのだと思っています。
母の人生に戦争は深い傷跡を残していました。病院のベッドの上で、8月15日が来るたびに戦争を題材にした短歌を書いていた母でした。教科書に墨を塗ることも教師として体験した世代です。「教え子をふたたび戦争に送るな」という横断幕を持った母の写真が残っています。戦争を生きた世代として日本共産党を選択した母は、今もぼくの前を歩いています。戦争への道が、実際問題として浮上しているこの時代に、侵略戦争に命がけで反対し、国民主権の実現を訴えた日本共産党の一員であることは、深い意味のあることだと思っています。

こういう時代だからこそ、長いものに巻かれるのではなく、自分で時代の本質を見抜き、平和で自由な日本を次の世代に渡す側に立って欲しい。一人でも多くの人に。物事の考え方の根底には、こういう気持ちがあります。


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雑感

Posted by 東芝 弘明