子どもの貧困対策、第一歩が踏み出せた

議員の活動

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一般質問が終了した。今回の質問の最大のテーマは「子どもの貧困」だった。2013年に「子どもの貧困の対策に関する法律」が可決成立し、翌年には「子供の貧困対策に関する大綱」が閣議決定され、政府による子どもの貧困率(16.3%)やひとり親家庭の貧困率(54.6%)が明らかにされた中での質問だった。数値を踏まえて、かつらぎ町の数値に見る実態を踏まえて議論すれば、方向性が出るのではないかと思っていたが、町長から「全力で取り組みたい」という前向きな答弁が出てきたので、第一歩を踏み出すことができたと思った。職員が絶対的貧困と相対的貧困についてのきちんとした認識をもち、相対的貧困とは何かを把握して、貧困に接近しないと貧困が見えなくなるという認識ももっていたので、職員研修を行ってほしいという提案をしたが、これにも前向きな回答が得られた。
町長は、質問の中で何回か子どもの貧困の実態をつかむ必要があるという答弁を行った。ぼくの方からは、沖縄県が実施した方法で貧困率を出すこと、アンケートによる調査を行うことを提案した。提案した方向で状況が切りひらかれていくことを望みたい。

今回の質問の根底には、相模原障害者施設殺傷事件があった。この事件は障害者はこの世にいらないという優生思想の考え方が表に出て、発生した殺傷事件だった。ぼくは、この事件以後、日本社会が社会的弱者と呼ばれている人々が、異様なバッシングを受けている状況こそが問題だと感じてきた。自己責任と勝ち組、負け組。福祉や社会保障支出をお荷物であるかのように攻撃し、非正規雇用をどんどん拡大している日本社会の中には、意見の異なる相手を徹底的に攻撃する傾向が強まっている。障害者と生活保護受給者を攻撃する傾向は、このような社会状況下で生まれている。

こういう傾向が何によって生まれているのかということを調べていくと、福祉が選別主義と普遍主義とに分かれること、福祉の中に選別主義を徹底していくと福祉が社会保障というよりも救貧的なものになってきて、いわゆる「ほどこし」のようなものに縮小してくる。日本政府の発想は、この選別主義を徹底する傾向を強めている。ほとんどの制度に所得制限を設け、制度を非常に細かく設計して、負担を徹底的にかけながら給付を限定しようとしている。医療の分野の負担と給付が、年齢によって2割負担とか3割負担に分かれていたり、高額医療費の制度を細かく設計したり、介護保険で負担と給付を段階的に細かく分けたりするのは、徹底的に人間を選別するということに他ならない。
このような細かい、しかも給付が豊かでない仕組みを作ると、制度を実施する行政の側にも給付を受ける国民の側にも、差別と選別の考え方が醸成されてくる。
母子家庭に対する児童扶養手当は、シングルマザーに働くことを強制し、働くことによって得られる所得によって、児童扶養手当の額を細かく制限している。5年この制度を受給して、母親が働いていなかったら、もしくは働く意欲がなければ、児童手当は2分の1に減額される。
生活保護制度の保護費の給付も、働いたら生活保護が減るという形をとっている。働けといい、働いたら保護費を削り、保護費を上回る所得を得たら保護費を打ち切るという方法を採用している。
児童扶養手当も生活保護費も、受給すれば、これに付随していくつかのメリットがある。生活保護でいえば、生活費だけでなく住宅扶助や医療費扶助があり、健康保険税は支払わなくてよくなる。病気を抱えている人にとって、生活保護を打ち切られるということは、病院に行けなくなることを意味する。母子家庭で小中学生の子どもを持つ母親にとって、児童扶養手当を受給できることは、就学援助制度を活用できることとつながっている。所得に応じて給付がコントロールされると、働き方を制限するという考え方が生まれている。
あの人は制度を利用しているとか得しているとかいう批判が、制度を受けている人に対して投げつけられる。選別主義は、制度に対する恥辱感を繰り返し繰り返し再生産する。個人情報保護という時代になったので、社会保障の制度を受けているかどうかは、極めて微妙な個人情報になっている。公的な支援を堂々と受けられないような社会制度とは一体何だろう。
母親が13歳の娘の首を絞めて殺害し、心中をしようとしたが母親だけ生き残ったという事件もあった。日本には、「無理心中」という「文化」があるが、ヨーロッパにはこのような「文化」がないといわれている。フランスでは子どもは社会が育てるようになっている。子育てにお金がかからない国。保育所から大学まで無料で子どもが保育所や学校に通う費用は全部国が責任をもっている。

貧困の克服のためには、日本社会の福祉のあり方を選別主義から普遍主義へと転換しなければならない。国民が納めた税金は、国民に再配分する。再配分を通じて貧困状況をなくしていくというような制度設計に転換しないと、国民が国民同士を攻撃しあう社会はなくならない。
今回の質問の根底には、こういう思いがあった。このようなものの見方に気がついたのは、井上伸さんという方のブログの記事による。非常に参考になった。賃金と社会保障による再配分の関係も目を開かせてくれる力があった。感謝したい。
もちろん、このような物の見方をいきなり質問でぶつけても何の力にもならない。かつらぎ町にはできることに限界がある。そのことを見極めつつ普遍主義の立場に立って改善できることは何かを提案していくことが大事だと思っている。かつらぎ町は中学校を卒業するまで医療費を無料にしているが、この制度は、まさに普遍主義にもとづくものなので、この制度の果たしている意義を捉え直して、就学支援制度として0歳から18歳まで行うことを提案した。かつらぎ町は、子どもに対して医療の分野で0歳から就学支援を行うということだ。これは、医療費の無料化を通じて子どもを育てるという考え方につながる。質問では、義務教育にある就学援助の外側に就学支援制度を作り、その中で学校給食の半額補助を行ってほしいという提案も行った。すべての子どもに直接届く制度を組み立てていくことによって、誰もが安心できる仕組みを一歩ずつ作ることが貧困対策の一番の力になる。今回の質問では、考え方を示して一歩前に足を踏み出していただくことに主眼をおいたので、この制度の実現を強くは訴えなかった。一番いいのは、行政が貧困問題に対して深い認識をもって、必要な制度を再構築しようと思うかどうかにある。貧困対策への新たな視点をもって、何をなすべきかという真剣な姿勢で、職員の中から知恵と力が湧いてくるようになることが望ましい。
そういう自主的な取り組みが始まってほしいと考える。

貧困状態とは何か。物が溢れかえっている時代の貧困は、経済的な生活が破たんしても、家に物があったりする。商品価格は昔の時代よりもはるかに安くなり、極めて高い商品と極めて安い商品に二極化している。安い商品=必ずしも粗悪品でないという状況下で、物はある程度あるが生活するお金がないという状況が生まれている。社会的な関係を結ぶお金がなくなってくるとその家庭は社会から孤立し始める。葬式にもお見舞いにも行けず、極力対外的な付き合いを制限しないと生活が成り立たなくなってくると、子供向けの行事にも消極的になる。入学時の制服を用意するのにも事欠いて、日常生活の中で繰り返し繰り返し惨めな思いを味わっていく。
小学校も中学校も同調圧力の非常に強い「社会」なので、中学校や高校になると生まれつき茶色い髪の子どもは、たえず先生から目を付けられ、中には髪を黒く染める子どもまで出てくる。同調圧力の強い文化の中で、みんなと同じことができない子どもというのは、ものすごく惨めな思いをする。

昔の話だが、ぼくは母親が中学校2年の時に入院したので、秋の体育祭の日、お弁当がなくて昼ご飯を抜いたことがあった。今のようにコンビニもなければ、スーパーでお弁当が売られている時代でもなかった。中には家族が体育祭を見に来きている家もあったが、昼ご飯の時間を誰もいない教室の方に移動してやり過ごした。みんなと同じことができないというのは、それだけで大変なことになる。ものが溢れている時代の中で、惨めな思いを繰り返す状況というのは、子どもにとってはかなりしんどいだろう。

子どもの貧困を克服するためには、貧困な子どもを捜し回るという姿勢ではなかなかうまく行かない。すべての子どもに対する対策を講じる中で貧困な子どもを発見し、その子どもが安心して参加できるような仕組みを作る中で解決を図ることが求められている。繰り返すが、日本の学校の「文化」というのは、同調圧力の極めて高い中にある。制服、シャツ、靴下、持ち物。色々な物が一つのパターンに統一されている中で、同じことができないのは、ものすごく大きな苦痛になる。
「おとうさん、今は私、みんな同じでみんないいや」
小学3年生だった娘がそう言ったことがある。「みんな違ってみんないい」という金子みすゞの詩が好きだったのに、学校にある「文化」はものの見事に娘の考え方を否定した。
同調圧力を壊す努力は必要だが、学校におけるこの考え方は非常に根深い。「社会に出たらルールを守らなければならないので服装は大事にしている」というが、学校のように服装を統一している「社会」は存在しない。ある高校では、校内スポーツ大会の時、女子生徒が髪を細かく編み込んで登校したら、ある先生が強権を発揮して、編んだ髪をほどかせた。他の生徒と違うことをするのは許さないということだった。同調圧力の高い文化を大人が作ってきたのだから、すべての子どもに悲しい思いをさせないようにすることが、現時点では問われている。


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Posted by 東芝 弘明