日本の教育予算は先進国の中で最低

雑感

Facebookを見ていると、次の記事が目にとまった(井上伸さんのFacebookでシェアされていたグラフをお借りした)。

教育への公的支出、日本なお低水準 13年OECD調べ
日本経済新聞 2016/9/15 20:54

経済協力開発機構(OECD)は15日、2013年の加盟各国の国内総生産(GDP)に占める学校など教育機関への公的支出の割合を公表した。日本は3.2%で、比較可能な33カ国中、最下位のハンガリー(3.1%)に次ぐ32位。12年の最下位からは脱したが、依然低い日本の公的支出を示す結果となった。OECD平均は4.5%。

 一方で、公的支出に私費負担を合わせた児童生徒1人当たりの教育機関への支出を見ると、日本はOECD平均を上回っており、OECDは「日本では幼稚園や大学などで私費負担の割合が高く、家計に重い負担となっている」と指摘している。

 公的支出の割合が最も高かったのは12年と同じノルウェーで6.2%。6.1%のデンマーク、5.6%のベルギー、フィンランド、アイスランドが続いた。

 日本の国公立の幼稚園から高校までの教員の14年の年間勤務時間は1891時間で、OECD平均を約300時間上回った。ただ、勤務時間のうち授業時間の割合は中学校で32%にとどまり、平均の45%と比べ、課外活動や事務作業、会議などに多くの時間を割いている実態が改めて浮き彫りとなった。

 また勤続15年の小中高校教員の給与は、OECD平均が増加傾向なのに、日本は05年から14年の間に7%減った。OECD担当者は「日本では伝統的に教育を重視してきたが、最近は教員の待遇が悪化している。地位を上げていく努力が必要ではないか」としている。〔共同〕

この記事の元になったグラフをいくつか紹介しよう。
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教育に国家予算の支出が異様に少ない国、日本。この間、国立大学を独立法人化して、予算を削り大学に予算獲得競争を押しつけてきた。その結果、大学への公的資金の支出は、OECD加盟国中最下位になった。日本の学費が高い最大の理由は、国が大学予算を削ってきたからに他ならない。
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日本は、33か国中33位という位置にある。GDPに占める大学予算の平均は、1.13%、日本は0.56%しかない。32位のオーストラリアが0.71%だから日本だけが極端に低いと言っていい。

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2013年の人口100万人当たりの論文数では第35位。日本人は優秀だとか言って、自画自賛している間に予算を削りまくり、研究の規模が縮小し、研究者がどんどん海外に流出しているのではないだろうか。
教育のすそ野も、ものすごく衰えている。それは教員の賃金の減少にも表れている。
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2005年を100とすると2014年までの9年間で教員の賃金は7%減らされてきた。小泉さん以降の構造改革、新自由主義的な改革の中で、公務員攻撃と教職員攻撃がなされてきた結果、賃金は下がり続けた。100年の計は教育にありだということで、コメ百俵の精神と小泉さんは語ったが、現実はそれとは全く正反対の状況が続いてきた。
子どもの貧困の中でもひとり親家庭の貧困がOECD加盟国で最下位の54.6%(2012年)になっている。貧困を克服するための最終ステージの一つが大学や専門学校への進学だが、日本は、この間、このハードルをさらに引き上げるような政策を繰り返してきた。ひとり親家庭にとって、専門学校や大学に子どもを進学させるハードルは、極めて高いと言わざるをえない。
日本の崩壊させつつあるのが、現在の経済政策であり現在の政治であることを自覚し、転換をはからないと日本は本当に滅びの道に入っていく。
安倍さんがマリオの格好をして東京オリンピックをアピールしたら、それだけで支持が回復するなどという、ふにゃふにゃな反応を国民がしている間に、安倍さんたちは、小泉改革以降せっせと日本を壊してきた。アベノミクスの破たんが、国民の目の前にさらけ出されたとしても、マスメディアは、事実を誤魔化して安倍さんたちをヨイショして、日本は素晴らしい国だとのたまうのだろうか。騙す、誤魔化すマスメディアの情報から本質を見抜いて、たたかいを起こさないと日本は本当に危うい。

新自由主義がいいと思っている人は、自己責任という言葉が好きだろう。この言葉で政治が展開されてきた16年間は、日本国民にとって、格差と貧困が増大し、負担増ばかりが押しつけられてきた16年間だった。
和歌山県は田舎の県であり、田舎は周辺部から崩壊しつつある。
世耕さんはアベノミクスは和歌山にやって来ていないと3年前に語り、「あと3年待ってほしい」と豪語した。
3年後の夏、鶴保さんは、「和歌山にアベノミクスはやって来ていない」とマスコミのアンケートに答えている。「3年待ってほしい」と言った世耕さんは、そしらぬ顔をしている。もしかしたら自分の言ったことを忘れているのかも知れない。

2000年から2016年まで小さな政府を目指し、労働法制を破壊して派遣労働などを増やし、不安定雇用を増大させて、「貧しき人々の群れ」を増やしてきた。一方で大金持ち減税を実行し、株主資本主義を形成して来たので、格差と貧困が広がることになった。さらに社会保障改革だと称して、国民負担を増やし、これと併せて教育改革を推進し、大学まで独立行政法人化して、民間のような経営を押しつけた。このような路線の根本が問われている。バブルが崩壊して8年経った時点が2000年。崩壊後10年経って失われた10年だと言われたが、構造改革路線が展開して、さらに失われた10年が積み重なり、さらにこの期間さえも延びている。

小さな政府を作り、市場原理に任せればいいというような新自由主義の路線は完全に破たんしている。内需拡大と大きな政府作り、日本の福祉国家再建と安定的な雇用を実現する方向に切り替えないと日本の展望は開けない。対案はすでにはっきりしている。新自由主義路線をひっくり返すことが対案そのものになる。ただし、今まで切り捨ててきたものを回復させるためには、時間も労力も必要になる。壊れかたがそれだけひどいということだ。しかし、日本国内に経済循環を生み出し、田舎を再生し、国民の安定した生活の創出を行うことを通じて景気を回復するという道にこそ展望がある。貧困の克服のために国民全体の福祉を向上させる方向にこそ、未来がある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明