世界遺産シンポジウム『祈りと共生の世界遺産』

出来事

img_8374

「理論もそれが大衆の心をつかむやいなや、物質的な力になる」(カール・マルクス『ヘーゲル法哲学批判 序説』)
この言葉を思い出した。

午後1時30分から世界遺産シンポジウム『祈りと共生の世界遺産』が総合文化会館大ホールで開催された。岡野玲子(漫画「陰陽師」の作者)さんの記念講演のあとシンポジウムが開かれた。
岡野さんは、安倍晴明が丹生都比売神社と丹生都比売神に出会うところに、夢枕獏さんの原作から離れる転機があったということを明らかにして、丹生都比売神社やかつらぎ町のことを語られた。これほどかつらぎ町のことに思いを馳せながら作品世界を構築していただいた例はないだろう。そんな感じがした。

午後3時からのシンポジウムは、山陰加春夫氏(高野山大学名誉教授)をコーディネーターに、パネラーとして木下浩良氏(高野山大学図書館課長)と大河内智之氏(和歌山県立博物館主査学芸員)、尾上恵治氏(株式会社尾上組代表取締役、堂宮大工)、丹生晃市(丹生都比売神社宮司)、岡野玲子氏の5人を招いて行われた。
「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されてから12年、今年新たに三谷坂が世界遺産に追加登録されることがほぼ確実視されている中で、三谷坂のことを中心に開かれたのが今回のシンポジウムだった。

細かく書くと長くなるので、簡単に書いておこう。
三谷坂は、丹生酒殿神社と丹生都比売神社を結ぶ道のことであり、この道は丹生酒殿神社と丹生都比売神社の極めて深い関係を示すものになっている。近年ご神体である木製の座像が発見された。それは丹生高野四社明神像と呼ばれている。この内2体の木製座像が丹生都比売神社の銅製神像の木型であることが判明した。木製座像には、土のようなものが付いていた。この土は木製座像を木型にして粘土で鋳型を作ったのではないかと思われていたが、この木製座像と同じ銅製の座像があり、像として全く一致していることが確認されたことによって、それが証明されることとなった。丹生酒殿の神社の宮司と丹生都比売神社の宮司が、同じ人物で兼任していた時代があったことからも、この神社の深い関係が明らかだともいう。
2つの神社を結ぶ三谷坂は、高野山町石道よりも歴史の古い道であり、高野山に真言密教の道場が開かれる以前から存在していたことは確かなことだと思われる。

「紀伊山地の霊場と参詣道」という呼び名で呼ばれる吉野・高野・熊野の世界遺産は、文化的景観と顕著な普遍的価値をもつものとされている。文化的景観というのは、自然と人間の共同作品という意味であり、普遍的価値というのは、広く一般的に誰もが認める価値があるという意味だ。吉野・高野・熊野は、それぞれ歴史的成り立ちがつがうのに、日本古来の宗教である神道と仏教が神仏習合を形成し、共存しているという地域であり、こういう地域を生み出した自然がある。ここに世界遺産として登録された理由があった。
神仏習合というのは、神道と仏教というものが融合して一つになったというものではなく、一部融合した部分があるものの、それぞれの宗教が並立して成り立っており、共存しているというものだ。

日本は、外国の文化を取り入れ日本文化に融合させてきた歴史がある。神仏習合というのは、異文化交流と融合、共存と平和の象徴になっているのだと思われる。ここに日本人の心の有り様がある。

12年前に神仏習合のよって世界遺産に登録されたという意味の深さに心動かされてきたが、世界遺産登録の意味がなかなか世の中には伝わっていないと感じてきた。しかし、今日は、この世界遺産の中心的な意味が十二分に集まって来た人に伝わったと思われた。12年前にこういうシンポジウムが開催されていればとも感じたが、この12年間のさまざまな努力や研究が、世界遺産の内容を豊かにし、縦横に語り合えるようになってきたともいえるのではないだろうか。

三谷坂の追加登録と内容豊かなシンポジウムは、多くの人々の琴線に触れるだけの力を持ったと感じた。シンポジウムは、人々の心にしっかりと根をはって、物質的な力に変化して今後に生かされると思われる。

追記
政治家の端くれとしての感想も書いておこう。
日本の歴史にとって、明治に確立した絶対主義的天皇制は、廃仏毀釈を実行したが、あの流れは、日本の歴史の中では著しいイレギュラーだったのではないだろうか。神仏習合の歴史を大切にしてきた日本の文化を大規模に打ち壊してしまった明治以降の国家体制は、戦争に次ぐ戦争によって、自分たちで作り上げた大日本帝国というものも壊してしまった。異文化を柔軟に受け入れ、融合し、共存するという日本のあり方が、戦争後に復活したのは、日本の歴史の大きな流れに沿ったものだったのかも知れない。今、外国に対して排外主義的傾向を強め、日本が優秀であることをことさらに強調している動きは、平和と共存を土台としてきた日本の歴史にそむくものではないだろうか。
明治維新から太平洋戦争までの敗北の歴史は77年間という期間だったが、この時期の歴史に日本の伝統がある訳ではない。朝鮮の文化も中国の文化も日本の歴史の中にしっかりと根付いて生きている。異文化交流と融合、共存と平和、ここにこそ守り受け継ぐべき日本の文化と伝統がある。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

出来事

Posted by 東芝 弘明