全国学力テストの弊害

雑感

溜まっている集金に行った。いろいろな話を聞かせてもらった。中学校の先生で国語の先生は、午後5時以降研修を受けさせられて、遅いときは午前2時をまわることがあるという話だった。全国学力テストで和歌山県が最下位になったことを受けて、対策が行われているという話だ。
「過労自殺者がでるのではないか」
お父さんは心配していた。

全国学力テストの結果が公表されて、こういう状況が全国で生まれているのではないだろうか。たった1度の試験の結果に47都道府県が振り回されている。こんなことを重ねていて、教育はどうなるのだろう。誰のために、何のためにこういうことを行っているのだろうか。和歌山県が最下位になったということが、教育委員会を震撼させ、指導主事の責任が問われるといわれ、教師の指導を問題にされ、研修が重ねられ、その中で先生方はどうなっているのだろう。
これが本当の教育向上につながるのだろうか。

全国の学力テストが、どういう成績順に並んでいるのかを知らない。点差がものすごく開いているとでもいうのだろうか。かりに点差が大きく開いたからと行って、そこから何を学ぶというのだろう。単に競争が煽られて、疲労させられ、子どもの現実と離れたところで苦労させられて、何を得ようとしているのだろうか。

和歌山県がどのような研修を行っているのか、その中味は全く知らない。研修内容が的を射ているのか、的から外れているのか、知らないので論じるすべはない。
ただ国語力一般については次のことは言えると思っている。
国語力は、読むことと書くことによって培われる。現代国語の力をつけるための最良の方法は、大量の読書とともに大量の文章を書くことだ。これに勝るものはない。自由自在に文章が書けるようになると、国語力は格段に向上する。
読書は、単に文章を読み取る力を身につけさせるのではなく、本によって展開されている物の見方・考え方や本から得られる知識によって、思考力を格段に高める。
文章修業を続けると、評論文と小説の書き方が全く違うものであり、小説の文章がいかに特殊なのかということが見えてくる。普通、日常生活を送って、必要な文章を書くかぎり、小説のような文章は書く必要がないし、書こうとしても書けない。小説として書かれている文章は、情景描写にその最大の特徴がある。それは、子どもの書く作文とも全然違う。描写によって成り立っている小説という書き方は、極めて特殊な文章の書き方であって、日常生活では、皆無と言っていいほど書かれることのない文章の形式だといえる。日本人は、文章を書く努力を教育の中で受けていないので、文章を書けない人も多く、したがって、多くの人は、それぞれの文章は、全く別物のように成り立っているということを知らない。

日本語の文章の基本は、起承転結にあると信じている人もまだまだ多いだろう。しかし、起承転結を踏まえて書かれる文章ほど難しいものはない。世の中に溢れている文章のほとんどは、起承転結などになってはいない。新聞記事は大きな事実から書き始めて細かな事実を展開するという逆三角形の構図になっている。このような書き方の方が圧倒的に多い。起承転結が文章の基本などというのは、ちまたに溢れている文章の現実とはものすごくかけ離れている幻想のようなものだ。

ある大学教授は、日本の国語教育には読解があるが、文章を書くということについては、系統だって教える仕組みがないという指摘をしていた。この方は、誰もが書かなければならない文章は、新聞記事のような文章だという指摘を行った上で、読解の仕方をひっくり返せば文章教室になると喝破していた。文章教室は、こういうところから始まって、実際に大量に書くことによって身についていくものだと思う。書いて書いて書きまくらないと文章力は培えない。ピアノの練習や野球のバッティングのように反復練習をすることに行って文章力は培われる。書く努力をおこたると文章力は落ちていく。

文章を書く努力は、人前で自在に話す力を培うし、思考を整理する力を培う。物事を瞬時に判断する力や物事の本質を瞬時に見極める力も培う。読む力は、国語教育の3割とするなら書く力は7割だと思われる。日本の国語教育でほとんど系統だって教えられることのない文章を書く力が、本当は、国語力を身につけさせる最大の教育になるということは、もっと自覚されるべきではないだろうか。
少なくとも、学校教育は、「文章を書くのが苦手」という子どもをなくすためにあるべきだろう。先生の中にも文章が極めてへたな人がいる。頭のいい人でもまともに文章が書けない人もいる。話すのが上手なのに文章は無茶苦茶という人もいる。こういう人々が多いのは、日本の国語教育が根本のところで誤りを含んでいるということを意味している。
文章力を鍛えてくれる教室は、文章教室にある。質の高い文章教室からは、作家も誕生している。こういう教室から日本の国語教育は、多くを学ばなければならない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明