2016年12月31日

雑感

今年の後半は、自分の思っていたようなことにはならなかった。党の事務所の責任者が病気になって、ぼくが責任者の代理を務めざるを得なくなった。日々、どのようにして時間をやりくりし、責任を果たすのかということで、9月、10月、11月、12月を過ごすことになった。
いつもスケジュールと時間に追われ、徹夜のような仕事が繰り返された。とくに12月議会に向かう中で忙しさはピークになった。
こういう仕事の仕方をしていると、余裕がなくなってしまう。
LINEで楽しんで書いている友だちのことを眺めていると、楽しめない自分を発見したりした。楽しい感じのやり取りを見ていると、自分の余裕のなさを自覚する感じが残る。
ときどき、こんな生活をしていたら、「いつか死ぬかも」というような考えがよぎったりする。過労自殺する人々は、積み重なる責任とそれをこなせない自分とに追い込まれて行くのだろう。引き金は過労だと思う。疲れ切って体力がもたなくなり思考力が落ちて、行き詰まっていく。
なんとなく、そういう気持ちが分かるような感じになった。

今年の年末、自宅に帰ったのは8時30分を過ぎていた。ぼくより若い事務所の職員は、子どもを連れて自宅に帰り着いたのはぼくより遅かったかも知れない。
12月31日、赤旗の集金で最終訪れたのは、山の中腹にある家だった。そのお宅のご主人と沈みゆき、暮れていく夕日を見ながら話をしていた。それでも、2軒集金を残してしまった。一人はスキーに行ってしまった方ともう一軒は年末仕事を納めてしまった事務所だ。12月31日まで働いて、帰宅が遅くなるような仕事の仕方は良くないと思うし、世間ともずれていると思う。しかし、そういうことになる現実が横たわっている。
自宅に帰ってから家族3人で夕食を食べ、紅白を見ていると眠ってしまった。気がついたらあと30分で今年が暮れようとしていた。新年は、お腹の調子が悪くなったのでトイレに座っていると過ぎてしまった。

2017年はこうして始まった。
今年は、2つの事をやり遂げながらもう少し余裕が出てくるのだろうか。それとも行き詰まって行くのだろうか。

自分をとりまく現実というのは、こういう感じだが、政治的には、なかなか面白い状況が進んでいる。日本共産党が全力を尽くして行って来たことの一つが野党共闘だった。どうすれば野党共闘が前に進んでいくのか。ここに日本共産党の努力の中心があった。献身的にねばり強く野党共闘の前進のために貢献するという点で、日本共産党中央委員会が行ってきた努力には頭が下がる思いがする。
2017年は、必ず衆議院選挙がたたかわれる。この選挙は、関ヶ原の戦いのような意味をもつだろう。天下を分けるようなたたかいの出発になる選挙になる。このたたかいが天王山ではない。天下分け目のたたかいの始まりだ。
進歩か反動か、戦争か平和か。二つの力が糸を縫い込むようにもつれながら進んでいく道は、いつか、均衡が破られて右か左に傾く。平和と進歩の方に向かうのか、戦争と反動の方に向かうのか。日本共産党は、平和と進歩の方向に日本を向かわせたいという強い決意をもって、この戦いに挑んでいる。

私たちが見つめているのは、日本国憲法にもとづく「新しい」国づくりだ。日本国憲法の精神をもとに日本を作っていけば、日本は見違えるような変化を生み出す。それは、おそらく資本主義社会の中でもこのような民主的な国づくりができるのか、というような新鮮なものになるだろう。防波堤のような役割を果たしていた日本国憲法が、全ての国民の生活と経済の基礎になって、日本社会の推進のエンジンに変わる。
国民主権と恒久平和、基本的人権の尊重という原則、さらに地方自治と議会制民主主義という原則を守り発展させる先に日本の新しい未来がある。戦後72年の2017年。もうあと少しで明治から昭和の終戦までの77年の歴史を超える。平和と民主主義の日本の歴史が、戦前の歴史を時間の長さで超えることになる。戦前の日本に日本の歴史と伝統がある訳ではない。日本の歴史の中でほんのわずかの期間であった絶対主義的天皇制の下での政治体制は、戦争に突き進む日本を生み出して、破たんし崩壊した。ここから生まれた戦後という政治体制の方がはるかに安定している。
この戦後の良さを21世紀の時代の中でどう発展させるのか。ここに選択すべき価値ある未来がある。
日本国憲法は、憲法に中に日本の未来ともいうべき理想を書いた。憲法に書かれた国を作るという仕事は、まだ実現していない。この実現を阻んできたのは、戦前の社会体制に憧れ、あの時代に戻したいと願う勢力との綱引きにあった。
自民党の中には、戦前回帰というかなり強い意志があったが、同時に自民党の中には、恒久平和を守りたいという勢力もあった。自民党の中にあった恒久平和を求める動きは、決して小さくなかった。この小さくない力が戦前回帰をくい止めて来た力でもあった。もちろん、戦前回帰を阻んできた最大の力は国民にある。国民の中には、国民主権の考え方と平和を願う意志が、運動として大きな力をもった。

国民の運動は、国民主権を体現し、基本的人権をたたかいによって確かめ、法律の中に具体化させる力になってきた。恒久平和を求める運動も、たたかいの中で豊かにされてきた。たたかいは憲法を具体化し、血肉化するものでもあった。しかし、これらのたたかいは、それを阻もうとする勢力とのたたかいでもあったので、蕾のようにまだ小さいものに留まっている。日本国憲法の精神を守り発展させる新しい政権が誕生すれば、憲法の原則にもとづく運動がさらに発展する。それは温かい春の日差しの中で蕾が花開くような力をもつだろう。そういう時代を体感してみたい。
もちろん、さまざまな困難は存在する。経済的に歪んだ状態は、日本社会の中にたくさんあり、それらを是正するためには、かなりの時間が必要だろう。その中では紆余曲折も存在するに違いない。しかし、新しい希望と展望が開かれることになるだろう。
2017年がその時代の幕開けになるような年にしたい。自分たちの足元からも画期的な変化を起こしたい。
これが2016年をふり返って思うことだ。

未来は明るい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明