ルールなき資本主義

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「私が育成会の会議から帰っても、夫はまだ仕事から帰っていなかったことが多い」
彼女は少し笑いながら、そう言った。
夜10時までおこなっていた会議なのに。
和歌山市内に勤務している夫は、毎日、車を走らせて通勤している。
紀北川上農協に勤めている40歳そこそこのぼくの友だちも、帰宅はいつも9時を回るような状態だ。
いつの頃から男の勤務がこんな状態になったのだろうか。
育成会というのは、地域のおける組織で健全育成会という名称の組織だ。対象になる子どもたちは、小学校と中学校の子どもたちである。
ぼくは、今年の4月から笠田育成協議会の副会長という仕事を担うようになった。この協議会は、地域単位で組織されている育成会の連合体で、このような連合体をまとめて、かつらぎ町にはかつらぎ町青少年育成連絡協議会がある。
かつらぎ町には、妙寺地域、三谷地域、渋田地域、笠田地域など、人口が比較的多い地域には、商店街が歴史的な発展の経緯の中で形成されてきた。もちろん農業も盛んだった。
ある時期まで、育成会の役員には、男の方が多かった。
しかし。
笠田地域の地域単位の育成会の役員を見ると、ほとんどの方は女性になっている。男性の姿はほとんど見あたらない。
ぼくが住んでいる真和地域では、夏休みという条件を利用して、佐野住民会館で小学生の子どもたちによるお化け屋敷大会(花火つき)がおこなわれた。お母さん方は、連日連絡を取り合いながら、段ボールを手配したり、農業用のマルチと呼ばれるビニールを手に入れたりして、子どもたちの取り組みを一生懸命サポートしていた。
当日は土曜日だった。お昼ご飯もそこそこに子どもたちとお母さん方は、佐野住民会館に行って、お化け屋敷の設営をおこなった。
本番は、夕方から始まった。
「花火を手伝いに来てよ」
妻の呼びかけを受けて、ぼくはお化け屋敷の会場に足を運んだ。
子どもたちの歓声や悲鳴が、2階の会場から1階や会館の外に響いていた。ものすごくにぎやかな雰囲気があふれていた。
「東芝さんもお化け屋敷の中にどうぞ」
恐る恐る入っていくと、黒いビニールで覆われた迷路のような通路が設営されていた。子どもたちが扮装したお化けが、死に神の釜をもっていたり、ゾンビのような仮面をかぶっていたりした。
小さい子どもは、怖がって泣いたりしていたようだ。
残念なことに父親の姿がほとんどない。
お化け屋敷が終了した後、会館の外の駐車場で花火をおこなった。この段階になって2人ほど、父親の姿が目に止まった。
地域のおける子育て。見えなくなりつつある父親の姿。こういう感じがずっと広がっている。
8時間は、寝るために。
8時間は、仕事のために。
8時間は、家族との団らん、家庭生活のために。
「えー、日本には8時間労働っていうルールがあるん。知らんかった」
「残業代もらってる?」
「そんなん、もらってないですよ」
「何次まで働いてんの?」
「毎日、夜中までですよ」
働いている若い人とぼくの知人の女性との会話だ。
ルールなき資本主義という言葉を日本共産党は使っている。
日本の法律は職場の前で立ち止まり、職場の門の中には入っていけない。という現実がある。
地方自治体は、法律にもとづいて運営されている。
しかし、かつらぎ町の役場では、年間の残業代は4%しか出さないというルールがある。
このルールが、働き方をしばっている。
サービス残業というのは、誰が誰にサービスしているのか。
働く人々が、自分の勤務時間外の労働を「サービスでいいですよ」と言ってサービスしている。
だから、雇用主は残業代を支払わなくてもいい。
サービス残業には、こういうニュアンスがつきまとっている。
「残業するなよ」
上司はこう言って働きかけてくる。
「仕事が終わらない。すみません、残業してしまって」
「おまえなー、もっと能率よく仕事せえよ」
こういう感覚で働いている人もいるだろうか。
かつらぎ町の役場は、一応、課長の命令によって残業が命じられ、残業をおこなうというルールになっている。課長命令なしには残業はおこなわれないということでもある。
それでも、予算4%という壁の前で、法律の番人である役場は、労働基準法には遠慮してもらっている。
「サービス残業はただ働きです」
こういう指摘に対し、かつらぎ町役場は、残業については「ですから、代休を取るように指導している」とも言っている。
代休には、なぜか時効がある。時効にならない代休もある。
時効にならない代休には「永久代休」という名前がついている。
この「永久代休」については、職員が定年退職する際、役場に寄附することが多い。
寄附は本人の意志なので、「よし」とされているようだ。
地域における子育て、という場合、かつらぎ町も地域における教育力の低下を指摘している。
「地域の連帯感と教育力が段々と低下して、子育てが難しい現状になりました。」(かつらぎ町 青少年健全育成 町のホームページより)
地域の連帯感と教育力の低下は、一体どこから生まれているのだろうか。
「おーい、ご飯だよ」
夕方、外で遊んでいる子どもにお母さんが声をかける。家の煙突からは、お風呂を焚いている煙がでて、ゆるやかな風にその煙がなびいている。
大きな太陽が、夕焼けをつくって、建物を赤く染めている。
家に入るとお父さんとお母さんが、優しく子どもたちを迎え入れる。
食卓には、あたたかい白いご飯が湯気を立てている。
人間の幸せとは何か、という問に「男はつらいよ」の寅さんはこんな風に語って見せた。こういう家庭生活があれば、地域の教育力は低下しないのではないだろうか。
家族が、いっしょに過ごせる時間が宝物なのかも知れない。子ども時代の失った時間は、大人になってから取り戻すことはできない。12歳の時間は、生涯ただ1回しかないのだから。
日本共産党がいうルールある経済社会の基本は次のとおりだ。
8時間は寝るために。
8時間は家族とともに。
8時間は働くために。
この願いは、夢のように実態のない、つかみかけたら幻のように消えてしまうものなのだろうか。


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Posted by 東芝 弘明