資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである

学習

学習会が終わったので、次は「党綱領の未来社会論と『空想から科学へ』」というテーマの学習会への準備に入る。不破さんの本でエンゲルスの『空想から科学へ』の最もまとまった論考は、『古典教室第2巻 第三課 エンゲルス『空想から科学へ』』だろう。この本の中でエンゲルスの資本主義の根本矛盾である「社会的生産と取得形態の矛盾」という規定には誤りが含まれていることが全面的に展開されている。

資本主義的生産様式によって、生産力は飛躍的に発展するが、爆発的な生産力を生み出す最大の力は搾取の形態にある。資本は、他人の労働力を大量に商品として購入することによって、巨大な工場で大量の商品生産を行っているが、その根本は、労働力商品を価値どおりに支払った場合でさえ、搾取できるところにある。労働力商品の消費=社会的労働時間によって図られるこの過程は、新しい商品を生産する過程そのものであり、この商品生産の過程は、労働力商品の価値以上の価値を生み出す過程でもある。資本は、労働力商品の価値どおり賃金を支払ったとしても、それをはるかに上回る剰余価値を手に入れる。この剰余価値の取得が搾取そのものである。
実際の資本は、生産コストの削減のために徹底的な労働者の賃金の削減を図り、資本の蓄積を目指しながら生産力を発展させる。しかし、この行為は、消費という側面で購買力の低下を引きおこす。つまり労働者の側への貧困と格差の増大が、絶えず増大する生産と縮小する消費との矛盾を引きおこす。生産と消費の矛盾は、資本主義的な搾取形態の中から生まれる矛盾である。

資本主義的生産様式の1つの側面は生産力であり、もう一つの側面は生産関係である。資本主義的生産様式における生産力は、資本主義的な生産関係(資本によって雇われる賃金労働者という関係)によって成り立っている。しかし、エンゲルスの「社会的生産と取得形態の矛盾」という捉え方は、資本主義的生産様式が内包している2つの側面という説明になっていない。マルクスは、資本主義的生産様式によって生み出される生産力は、たえず自分自身の生産関係と矛盾すると指摘している。矛盾の最大の原因は搾取にある。あくなき剰余価値の生産、つまり利潤第一主義という生産力を支えている生産関係が、生産力増大の制限になっているということである。つまり、エンゲルスの「社会的生産と取得形態の矛盾」という捉え方では、資本主義的生産様式が内包している搾取の仕組み、剰余価値の生産というものが視野に入ってこない、という問題を抱えているということになる。
マルクスの『資本論』は次のように指摘している。

「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである。というのは、資本とその自己増殖とが、生産の出発点および終結点として、生産の動機および目的として、現れる、ということである。それは、生産は資本のためのものであって、その逆ではないということ、生産諸手段はたんに生産者たちの社会の生活条件をつねに拡大するための手段ではない、ということである。生産者大衆の収奪と貧困化にもとづく資本価値の維持と増殖が、その内部でのみ運動することのできる諸制限──このような諸制限は、資本が自分の目的を達成するために使用せざるをえない生産諸方法とたえず衝突することになる。この生産諸方法とは、生産の無制限的な拡張に向かって、労働の社会的生産諸力の無条件的な発展に向かって、突進するものである。手段──社会的生産諸力の無条件的な発展──は、現存資本の増殖という限られた目的とは、たえず衝突することになる。それゆえ、資本主義的生産様式が、物質的生産力を発展させ、かつこの生産力に照応する世界市場をつくり出すための歴史的な手段であるとすれば、この資本主義的生産様式は同時に、この生産様式のこのような歴史的任務と、これに照応する社会的生産諸関係とのあいだの恒常的な矛盾なのである」(「資本論』第三部第5篇「第一五章 この法則の内的諸矛盾の展開」⑨426〜427ページ、〔上〕Ⅲa423ページ)

この難しい話を、どうすれば分かりやすく示すことができるのか。しばらく悩んでみよう。


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Posted by 東芝 弘明