学ぶということについて

学習

議会事務局から電話があったので、5時に役場に行った。議会だよりの最終校正だった。
4月に入って4日間議会だよりの編集会議を開いて、ようやく完成した。今回は、書かなければならない原稿も多かった。議会だよりの編集と並行して、吉田雅哉君のリーフとポスターを作成した。この2つの仕事でかなりの時間を費やした。
ほかのことがほとんどできなかった。

この合間を縫って育成会の人事について、人に会い説得を行ったりした。3月議会からずっと議会が延長しているような感じだった。
雑誌「経済」を読みたいと思っている。議会改革の本も集中して勉強したい。
会議の運営の改善についても学び直したい。今日は「会議ファシリテーションの基本がイチから身につく本」という本がAmazonから届いた。今読み返している「会議革命」と合わせて読んでみたい。

再読しながら考えていることを少し書いておこう。
会議のテクニックを身につけるということだが、大事に思っているのは、その根底に流れている民主主義的な思考をとらえ直すということだ。会議における民主主義的とは、会議に参加している人を信頼する、参加者はすべて対等平等、一人ひとりの発言を尊重しないがしろにしない、論理をたたかわすことはあっても相手の人間性は否定しない。などなどだと思う。
会議運営の技法は、このような民主主義的なものの見方考え方を隅々まで貫くための道具になる。技法の隅々にその技法を支える精神が宿る。精神の宿っていない技法は、急速に形骸化してしまう。
技術を学ぶということは、徹底的に民主主義的な運営をおこなうことのできる力を身につけるということになる。民主主義的な運営は、会議の中で団子の串のように真っ直ぐに貫かれなければならない。
ぼくはこんな風に考えている。

忙しかったので、なかなか学習が進まなかった。
学ばない人間には進歩がない。新しい知識による新しい視点が、ものの見方を新鮮にし物事への取り組みを豊かなものにする。1冊の本から学べたものは、たったの1行かも知れない。でも、その1行が人生の転機になったりする。
豊かな本を読んでも、その時々の問題意識に制限されて、自分の中に吸収できることは少ないかも知れない。時間を経て読み返すと、素通りしていたものが、鮮明に把握できることがある。初対面でも再会でもいい。本との対話によって、昨日までとは違った世界が見え始める。

同じように星を眺めても、詩人は星と星との間に物語を見つけ出す。天文学者は宇宙の始まりや星の運動に思いを馳せる。探検家は、星を見ることによって、自分の位置を確認し、明日の天気を読み取ったりする。学びによって豊かな視点をもっている人は、同じように空を眺めても、見える世界が違ってくる。自分たちの周りにある客観的な世界は、学べば学ぶほど、より一層汲み尽くせない豊かな姿を見せてくれる。
現象の奥には豊かな真実が存在する。真実は幾重にも重なる無限の系列をもっている。学ばない人は現象しか見えない。真実に分け入って行くためには学ばなければならない。


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学習

Posted by 東芝 弘明