学校給食運営審議会へ、意見提出

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学校給食陰影審議会に意見を提出した。ブログに載せる。
興味のある方はお読みください。
昭和48年採択の請願
かつらぎ町では大谷小学校が自校調理方式の給食を実施していますが、それ以外の小学校では、学校給食が実施されていません。大谷小学校の学校給食は、大谷村の時代から行われていたものです。市町村合併によってかつらぎ町が発足しても、他の小学校で学校給食は実施されませんでした。
もちろん、この状況に対し町民が黙っていたわけではありません。「完全給食の実施を求める請願」署名が採択されたのは昭和48年(1973年)のことです。それから37年間、学校給食をめぐっては、さまざまな経緯がありました。2010年秋、ようやく平成平成24年(2012年)を目標に実施への検討が行われています。
37年前の請願に署名した方々の中には、亡くなっている人々もいます。学校給食実施の願いは町民の悲願です。3世代にわたってこの悲願は、バトンのリレーのように住民の中で受け継がれてきました。請願が採択されると、かつらぎ町は、文章で態度を表明しなければなりません。これは、議会に対する責任でした。かつらぎ町は、昭和53年から昭和60年までは、「財政上取り組みは至難である」と書き、昭和60年12月からは「校舎改築及び改修を先決課題としたい」と書いていました。
町長の公約になった学校給食
この状況に対し変化が起こったのは、平成7年(1995年)10月の町長選挙でした。町長と助役、収入役の3人が町長選挙に立候補し、すべての候補者が学校給食の実施を公約に掲げました。学校給食実施を求める世論が、給食実現を選挙の争点に押し上げたのです。
当選した南衞町長は、学校給食推進委員会を設置し、議論をはじめました。自校調理方式を採用するのか、それとも共同調理方式(センター給食)を採用するのか。当時の議論の焦点はここにありました。
1996年7月、PTAの人々を中心にして自校調理方式による学校給食実施を求める請願署名運動が行われ、7800人の署名が教育委員会に提出されました。この署名数は、かつらぎ町の署名運動の中での最高記録となっています。
ところが、この同じ月の7月13日、堺市の学校給食でO-157による集団食中毒事件が発生しました。当時、文部省は、児童が死亡したこの事件を重視し、対策に必死で取り組み、学校給食の衛生管理を根本から見直して根絶への流れをつくりました。
しかし、かつらぎ町は、この事件を理由に学校給食実施の検討を中止してしまいました。
全国の学校で、この事件を原因に学校給食を廃止した例はまったく存在しませんでした。この事件後、遅れていた和歌山県内でも学校給食実施の流れが強まり、那賀町や粉河町などで学校給食が次々に実現しました。
平成14年(2002年)9月、議員提案による「学校給食の早期実施を求める決議」が賛成多数で可決されました。南町長はこの決議を受けて、平成17年(2005年)に学校給食の実施を明らかにしました。しかし、南町長は、この公約を実現しないまま2期8年で町長を引退しました。
山本町長に引き継がれた公約
山本惠章氏が町長に就任したのは、平成15年(2003年)10月です。山本町長は、学校給食の実施を公約に掲げましたが、平成17年(2005年)の実施については、先送りしました。原因の一つは、小泉内閣による三位一体の改革でした。交付税が大幅に削減される中で、平成16年(2004年)12月、渋田小学校の設計予算が全額削減されました。その後、小学校の建設が延期され、さらに適正配置という名の学校統廃合が検討されるようになりました。
平成18年(2006年)4月、教育委員会は、花園地域の梁瀬小学校を残すとともに、旧かつらぎ町の小学校については、10校を4校にする適正配置の方針を採択しました。方針が急激に変化する中で教育委員会は、連続する校舎改築を優先し、学校給食の実施については、見送らざるをえないという態度を表明しました。町民の悲願はまさに悲願として消えていくのか。という状況になりました。
山本町長は、住民の願いを重視し公約を実現する態度を次第に明らかにして、笠田小学校と渋田小学校の適正配置による開校とあわせ、学校給食を実施することを決意するに至りました。この決意が、教育委員会の背中を押しました。
教育委員会は、「学校給食推進委員会」を改組して「学校給食運営審議会」(教育委員会規則は「学校給食審議会」となっており、町条例と整合性がありません。改正が必要です。)を設置する意向を明らかにし、実施に向けた検討を始めました。この審議会は、給食実施後の運営につても審議を継続することを目的としているものです。
改正学校給食法がめざす学校給食の姿
平成21年(2009年)4月、学校給食法が改正・施行されました。改正学校給食法の第1条の目的は、次のように述べています。
「この法律は、学校給食が児童及び生徒の心身の健全な発達に資するものであり、かつ、児童及び生徒の食に関する正しい理解と適切な判断力を養う上で重要な役割を果たすものであることにかんがみ、学校給食及び学校給食を活用した食に関する指導の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実及び学校における食育の推進を図ることを目的とする。」
学校給食法にはじめて食育という言葉が使われ、食育の推進を図ることが学校給食の目的となりました。
学校給食法の改正に先だって、栄養士が栄養教諭になれる制度も確立しました。第7条は、この制度を踏まえて、栄養教諭もしくは栄養士が、学校給食栄養管理者に位置づけられ、第10条では、学校給食を活用した食に関する指導の責任が明確にされるとともに、地産地消の推進がうたわれました。第9条では、衛生管理基準が法律の中にはじめて書き込まれ、この基準に基づく給食の実施が義務づけられました。
これらの一連の改正は、衛生面の基準を明確にするとともに、栄養教諭もしくは栄養士の果たす役割を明確に規定することによって、学校給食の質を高めるものでした。また、平成17年7月に施行された食育基本法では、学校給食が食育推進として明確に位置づけられています。学校給食は、食育基本法とセットで推進されるべき大きな広がりをもった施策となって、充実・発展させられたということです。
学校給食法は、栄養士と学校長の全面的な管理による学校給食を想定しています。この法律の精神を大事にして、真剣に検討を加えていけば、民設民営の学校給食や調理の民間委託が選択肢に加わることはないといえます。
理想と現実の格闘を
かつらぎ町が、学校給食を実施できない中で、紀の川筋のすべての自治体は、学校給食を実施するように変化しました。全国の小学校における学校給食の実施率は、実に99%に届こうとしています。
かつらぎ町は、和歌山県内で最も立ち遅れた自治体の一つとなっています。しかし、この立ち遅れは、学校給食法と食育基本法という高い水準の到達点に立って、スタートを切れるという優位な位置に立っているともいえます。この条件を生かせるかどうか。ここに大切なポイントがあります。
新宮市では、センター給食の実施が声高に推進されていたときに、教育委員会は、高い理想と豊かな見識をもって、自校調理方式に踏み切りました。食教育という言葉がまだ生まれていない時代に、O-157による食中毒事件が起こる前の時代に、自校調理方式を選択したのは卓見だったと思われます。
O-157による食中毒事件以後、文部科学省は、センター方式を推進してきた従来の方向を転換し、どのような方式を採用するかは自治体の判断によることを明らかにしています。これは、あの事件に対する教訓でもありました。
かつらぎ町は、過疎化と少子化、高齢化が糸が絡み合うような形で進んでいます。人口の減少は、地域を破壊しつつあります。笠田地域からは、本屋さんや自転車屋さんがなくなりました。街は、静かに灯が消えるように壊れはじめています。私たちは、壊れていく地域の現状に対してあきらめてはなりません。地域力の再生をめざして、たとえ蟷螂の斧のように見えても立ち向かう必要があります。
豊かな学校給食の実施は、地域再生の力になるものであり、町おこしの重要な施策となります。子育て世代にとっては、住みたい町の魅力にもなるものです。教育委員会は、豊かな食育の実施を展望して学校給食を実施する責任を負っています。現実と格闘しなければ、活路は拓かれません。財政的な制限や数多くの困難な課題はありますが、教育委員会は、学校給食の原点を踏まえ、豊かなイメージと理想をもって、よりよい学校給食をめざすことが切に求められています。
民間委託における学校給食の問題点
山本町長は、平成24年(2012年)4月から学校給食を実施するために、緊急避難的な取り組みとして、民設民営による実施を打ち出し、将来的にはセンター方式による実施と中学校給食の検討をおこなう姿勢を明らかにしました。3校の小学校と2校の中学校の校舎改築をおこなっている状況下で、緊急避難的に民設民営の学校給食を実施することは、やむを得ない選択だと考えます。しかし、この選択には、どういう問題があるのかという点については、しっかりした認識が必要です。
民設民営の学校給食には、県の栄養士が配置されません。町は、町職員として栄養士を雇用して配置する必要があります。ただし、栄養士は、委託先の調理員に指揮・監督を行えません。これは、労働法制上禁止されています。
栄養士が指揮・監督を行えないという事態は、学校給食法が想定していない問題です。学校給食は、人間の根源的な活動である食に深く関わっています。食育は、食べる側とつくる側の交流によって成り立ちます。毎日の学校給食が日々創意工夫されるところに、食教育としての学校給食の醍醐味があります。
民間委託によって栄養士と調理員の人間関係を遮断してしまう問題は、民間委託の致命的な欠点で、これは超えることのできないハードルです。
保育所や幼稚園、学校給食などの公的なサービスは、実際に現場で働いている人々の労働によって生み出されてきました。このような現業の部門をどんどん民間に委託する現在の方策は、地方自治体の血流を自分の手で断ち切ってしまうものです。このような方向が強まれば、やがて地方自治体は、住民の苦労や悲しみ、喜びのわからない、血の通わない組織になってしまいます。
子どもたちに安全でおいしい学校給食を提供するという連帯感に結ばれてこそ、豊かな食育が実現できます。地産地消による学校給食の実施も、栄養士と調理員、野菜などの作付農家の人間的結びつきがあってこそ、豊かなになるのではないでしょうか。
自治体における民間委託は、いつも経費削減と結びついてきました。その結果、民間委託の世界では、ワーキングプアの状態が広がっています。賃金が非常に安いという傾向が、かつらぎ町の民間委託の中ですでに発生しています。
学校給食の民間委託によって経費の削減を実現するには、調理時間の短縮が必要です。手づくりにこだわって、冷凍食品を少なくしていけば、調理時間が伸びるとともに、調理員を増やす必要があります。ワーキングプア状態をさけて、調理時間と調理員の確保をおこなうと、民間委託のメリットは雲散霧消してしまいます。
民設民営は文字どおり緊急避難として実施すべき
学校給食の調理方式には、自校調理方式と共同調理方式があります。この2つの調理方式に民間委託が導入されたのはごく最近の傾向です。これらの方式の違いについて認識を深めるためには、さまざまな角度からの深い検討が必要です。
食育としての学校給食の取り組みについては、優れた書籍が数多く出版されており、先進的な事例もたくさんあります。
紀の川市の名手小学校などでは、有機農業による農産物を提供している農家の方が、一日先生になって教壇に立ち、子どもたちに給食で食べている農産物のお話をしています。給食が輪になって、人と人との交流が生まれ、そこから豊かな食育が生まれています。
教育委員会は、このような研究とともに、学校給食法と食育基本法、さらに和歌山県が作成している「食べて元気、わかやま食育プラン」(和歌山県食育推進計画)などの基本に立って、学校給食への見識を高め、認識を深めるべきではないでしょうか。
学校給食運営審議会の議論も、事務局である教育委員会の認識の深さに大きく左右されます。残念ながら現時点では、学校給食の基本点を踏まえた議論は組織されていません。これは悲しい現実です。
学校給食の基本を踏まえて議論をおこなえば、自校調理方式が最も優れた方式であることは明らかになります。文部省時代に国が共同調理方式への切り替えを積極的に推進しても、自校調理方式が過半数を超える規模で存在していたことが、そのことの証明にもなっています。
私は、共同調理方式でもやむを得ないという立場に立っています。しかし、どのような角度から見ても民間委託を導入することは、学校給食法の基本を守れないものにならざるをえないので、民間委託に賛成することはできません。緊急避難的な民設民営による学校給食は、年限を区切って実施されるべきであり、連続する議論によって、かつらぎ町立の共同調理方式による学校給食への移行をめざすものであってほしいと切に願っています。
実施まであと1年半足らずです。条件は限られています。現実的な条件からいっても緊急避難的な学校給食の実施という可能性が最も強いと思われます。
地産地消の取り組みは、農家の協力が不可欠です。この課題は、緊急避難的な学校給食以後にもつながるような見通しをもった対応が必要です。
アレルギーをもった児童への対応は、除去食を行うことを軸に検討すれば、ある程度の対応は可能です。
かつらぎ町の学校給食は、請願採択後、39年目にようやく実現されることになります。私たちの現在の議論が、21世紀のかつらぎ町をつくるという認識に立って、子どもたちに夢と希望をひらくものになることを願っています。


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Posted by 東芝 弘明