教育基本法が視野に入れない批判的精神

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教育基本法と批判的精神について書いてみたい。
新しい教育基本法の目標は次のように定められている。

(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。


この教育の目標には、批判的な精神という考え方がないように見える。
一言でいえば、この目標は、品行方正、かつ社会の体制の枠の中で生きる人間を育成するものだと読める。現在の政治や社会への批判を認めず、それを尊重しなさいという色彩を感じる。
アメリカの独立宣言は、日本の教育基本法とは全く違うことを書いている。対称的なので紹介してみたい。

「さらに、どのような形態の政府であっても、これらの目的をそこなうようになる場合には、いつでも、それを変更ないし廃止し、そして人民にとって安全と幸福をもっともよくもたらすとみとめられる原理にもとづいて新しい政府を設立し、またそのようにみとめられる形態で政府の権力を組織することが、人民の権利であること。」


アメリカ独立宣言は、政府が誤りを犯す可能性があることに言及して、新しい政府を樹立する国民の権利を謳っている。日本の教育基本法は、現在の日本の政治を是として、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」と書いている。これは、体制に対する批判を拒否しているように読める。
この教育目標をふまえて、政治教育と宗教教育については、次のように規定している。

(政治教育)
第十四条  良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2  法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。
(宗教教育)
第十五条  宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。
2  国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。


政治教育は明文をもって否定されている。この規定は、現代社会の諸問題を考える自由を奪うものではないだろうか。
旧教育基本法は、今の教育基本法とは全く違う。
前文は次のように書いていた。

「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」

この前文は、日本国憲法の理想を実現するために主権者である国民を育てるというものだった。だからこそ、教育は、学問の自由を保障し、真理を探究し、人格の完成を目指していたのだ。
旧教育基本法は、国民の権利としての教育を宣言したものであり、教育内容に対し、国家権力や教育委員会が明からさまに指導し支配することを許さなかった。このような原則は、戦前の教育が国家の統制によって、戦争への批判を全く失い、国民を戦争へと導いたという根本的な誤りを犯した反省の上に立って出てきたものであり、これは歴史の苦難から導き出された教訓だった。
国民の教育権を保障した旧教育基本法は、批判的な精神についても自由だったといえる。
法律は、国民の内心の自由に対し、それを支配するようなものであってはならない。しかし、現行の教育基本法は、国民にこう生きるべきだという方向を示した、非常に仕着せがましいものになっている。
ただし、法律がいくら批判的な精神を否定しても、教育における批判的精神はなくならない。
人類は、先人の方々が築いた学問の到達点を批判的に検討することによって発展してきた。批判的精神は、人間の認識の発展という視点からも大切だ。人間の認識は極めて主観的なので、たえず思い込みや誤りに支配される。これを克服していくためには、自分のものの見方考え方に対しても批判的精神の発揮が必要になる。
学習指導要領は、思考力、判断力、表現力をつちかうといっているが、批判的精神が欠落すると、これらのものの本質は、なかなかつかめなくなるのではないだろうか。
思考力や判断力は、批判的な精神と表裏一体のもの。批判的精神なしに豊かな思考力や判断力は生まれない。なぜと問う力があってはじめて、思考力や判断力が培われる。
批判的な精神から遠ざかってしまった教育基本法と学習指導要領は、人間を豊かに育てるという点で、重大な欠点をもっている。


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Posted by 東芝 弘明