佐野寺跡、史跡、竣工式

かつらぎ

佐野寺跡の史跡整備が整ったので竣工式が執り行われた。三重塔の基壇と金堂の基壇を再現し、整備をしたものだ。いい天気だった。日が当たっている背広の左腕は暑いほどだった。
竣工式のあと高瀬要一氏(奈良文化財研究所名誉研究員・佐野寺跡整備委員会会長)による「佐野寺跡の史跡整備と文化財の保存・活用」という記念講演が公民館分館で行われた。
講師の高瀬さんは、自分たちの住む地域の歴史的な遺産を誇りに思って、子どもたちにそれを伝えてほしい」と言い、「遺跡は時間軸のカーナビ」だと言って、「車のカーナビは3次元で測位しているが、遺跡には、時間軸が加わって4次元のカーナビになっている」という話をされた。
佐野寺は7世紀の中頃、600年代に建てられた寺院だった。その時代の仏教というのはどういうものだったのか。日本に伝来されてから100年ほど経った時点の仏教の姿を知りたいと思った。

佐野寺跡の遺跡の中に金属製のお椀の蓋のような物(佐波理鋺蓋)が出土している。話を聞きながら、出土したこのお椀のような蓋は、どんな色をしていたのか考えはじめていた。いくつかの金属の合金でできていた蓋の色に興味が出てきた。帰りがけに元和大の教授のT先生がいたので、どんな色だったのか分かりますか、と聞いてみた。
「合金は、金属の配合の比率によって色が変わってくる。どんな比率で配合されているのかは、実物を調べれば正確に分かる」
先生はこうおっしゃった。
なるほど。出土した蓋の色を現代の科学によって再現することができると思った。お椀の色を再現してみることで、お寺にはどんな色彩が施されていたのか、少しは分かるかも知れないと思った。
佐野寺というのはどんな色彩をしていたんだろうか。というのも気になった。

もともと、仏教は豪華絢爛、原色を多用していたと思われる。どんな色彩だったのかを再現してみることは面白い。再現するためには、何によって色を付けていたのかを見極めることが大事だ。その原料を特定できれば、当時の色を再現することが可能になる。風化しない前の色合いは、かなり鮮明なものだったのかどうか。

ただ単に知識だけで具体的なものに接近するだけではなくて、現代に当時の最初の姿を再現する作業をすることの意味は大きいと思いはじめている。自分たちの体や手足を使って土器などを再現していけば、当時の最初の姿に接近できる。いつの時代から釉薬を使い始めたのかはよく分からないし、釉薬を施した土器が土の中で変色するものなのかどうかもよくは分からない。もし、変色するものであれば、成分を分析して原料を特定することによって、元々の色を再現できるはずだ。

現在に残っている古い建物などは色が退色している。それは風化によるものだ。そこに趣があるのも理解できるが、退色してしまった色を元の色に戻すのも面白い。


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Posted by 東芝 弘明