議会だよりはリアルなものに

かつらぎ町議会

今週の火曜日から3日蓮続で議会広報の編集を行った。集中して編集作業をしていると、かなり疲れる。夜になるとうたた寝ばかりしている。委員会が3日間連続して続くことなど初めてだった。
編集作業が委員の中で一番速いかも知れない。一番大きな力になっているのは13年間ブログを書き続けてきた文章力にあると思っている。13年間の積み重ねは大きい。仕事が終了したら人の編集のお手伝いをするということで、何ページか編集をさせてもらった。

自分たちでレイアウトをして、自分たちで記事を書いて紙面編集を行うという作業は、骨の折れる仕事だ。今回の議会広報は32ページとなった。この内一般質問のページは12ページ、扉を入れると13ページになった。一般質問は1人の議員が1ページ。文字数にして900字ぐらいの記事を書いて、大きな写真を入れるようになっている。

かつらぎ町の議会だよりは、議案の提案を受けて、紙面に質疑と討論と採決状況をリアルに明らかにするという形を取っている。当局の変にまずい答弁も掲載されている。まだ、多くの議会広報は、綺麗にまとまっていて、議会の中で意見が対立している様子や、当局との間で意見が食い違っているような様子が浮き彫りにはなっていない。この点でかつらぎ町は、一皮も二皮もむけている。

かつらぎ町議会は、時には審議が止まって、休憩に入って答弁できなかったことを調べて答えるということがあったり、質問と答弁が食い違ったりすることもあるが、何もかもリアルに、「生」のやり取りをしているので、それが議会広報にも反映している。
議会だよりの編集が始まった最初の頃は、当局の答弁がまずいと掲載しなかったり、記事を修正したりしていたが、この頃は、かなりリアルに面白いやり取りが紙面に出るようになっている。真面目に真剣にやり取りしていても、面白さがにじみ出てくる。それが人間というものだろう。

国会のやり取りには、「生」がある。かつらぎ町のやり取りは国会のやり取りに近い。国会が「生」を実現しているのに、地方議会の多くは、どうして「生」が少ないのだろう。地方議会の一般質問になると、質問回数は3回、答弁回数も3回、しかも質問も答弁も全部原稿を読み上げるということろが多い(かつらぎ町は一問一答、持ち時間1時間)。一般質問が通告制を取っていることと合わせ、質問が3回で終わるという形になっているので、当局が一生懸命に答弁書を作成するということになる。
朝日新聞が4月2日、大阪府議会による当局の答弁書の作成を記事にしていた。議会で当たり前のことのように行われている「答弁調整」は、世間から見れば、驚きをもって受けとめられる奇異な世界だろう。

4月2日の朝日新聞の記事の一部を引用してみよう。

 朝日新聞は、昨年9~11月に開かれた府議会に関する情報公開を請求した。対象は、議会側(議員または会派担当職員)と部局側が交わした2万1596ページ分のメールだ。

 昨年9月上旬、自民党会派を担当する職員が各部局へ一斉にメールを送った。所属議員の一般質問の骨子を伝えるためだ。メールには約30項目の質問が1~2行ずつ並び、「質問項目について明日から趣旨確認を行います」とあった。

 議会事務局によると、趣旨確認とは、部局の職員が議員に会い、質問したいことや問題意識を確認すること。QA(質問と答弁)案の作成を求められた場合は、聞き取った内容をもとに部局で質問を考える。

 「担当課QA案を送ります」。10日ほどが過ぎ、各部局が自民会派にQA案を返信した。議員の意向を反映させた質問案に、知事や部長の答弁案が添えられ、ひとつの質問ごとに1~2ページにまとめられている。

「僭越ながら…担当課で作成してみました」
 ある部局からはこんなメールも届いていた。

「最後の要望部分は○○(=議員の名前)Gがお作りになるとのことでしたが、僭越(せんえつ)ながら参考に担当課で作成してみました」

ここから先は有料配信だった。記事はこれから佳境に入っていく。
朝日新聞の記事は、議員の質問を当局が一部作成したことを紹介している。それが「僭越ながら」という下りだ。議員は、こうやって調整された質問を議場で臆面もなく実行に移したりする。議員が質問を読み上げ、当局が答弁書を読み上げる。どちらも下を向いて、相手の顔を見ることも少ない。これでは、国会のように審議が止まることはないし、緊張感も生まれない。全ての質問が予定調和になる。

この環境の中にいる議員にとって、事前に詳細な打ち合わせを行えば、議員の質問が事前のやり取りの中で実現するケースが多々あるという。こういう世界に入り込んで行くと、事前の打ち合わせが質問を実現する「現場」であり、本会議が「セレモニー」になる。つまり、市民に公開されている議場が「やらせ」満載の世界になってしまう。演劇人のようにセリフを感情を込めてしゃべれない。鳥取県知事だった片山義博さんは、こういう議会のやり取りを「学芸会」と書いたことがある。

必死で答弁書を作成する。必死で質問を準備するということを、市民には見えないところでやっているので、「私たちは真剣にやっています」ということだろう。
しかし、公開されている本会議と委員会が議会の全て、そこで市民に全てを見せるということが求められているのだ。市民に見えない水面下でどれだけ真剣にやり取りをしていても、それは、市民にとってはブラックボックスでしかない。

公開されている会議で真剣にやり取りを行い、そこで物事を決めていくというようにならないと、本当の民主主義は実現しない。公開された会議では、生々しいやり取りができないと思っている人もいるかも知れないが、そういう考え方は問題をはらんでいる。
公式の場で本音を出し合って議論をしていると、自ずから、自分を律して発言する習慣は身につく。公式の場での真剣な質問と正式な答弁があってこそ、物事は前進する。公式な場は、議員の質問にも答弁する執行部にも大きな責任が生じる。議員が、相手を誹謗中傷したり、人格攻撃を行うと発言の取り消しを求められる。時には議会を除名されることもありうる。こういうルールは、発言を規制するものではあるが、同時に発言に重みを与えるものでもある。

スポーツにルールがあるように議会本会議と委員会にもルールがある。議論になりかけると休憩を宣言して、休憩中にやり取りを行うなどというのは、ルールのあるもとでは、本音で発言できないと思い込んでいるのかも知れないし、物事を水面下で決めたいという習慣から脱却できないのかも知れない。

いろんな普通の会議に出ていると、会議で発言しないのに、終わると決めたことに対する批判を語ってヒートアップする人も多い。
「会議の場ではよういわんかったんやけど」
こういう人の発言に多くの組織が振り回されている。しかし、普通の会議では、本音が語り合える会議づくりも大事なテーマになる。

議会は、本音を語り合えるような場をつくるようなところではない。議会に提出された議案は、異議がなく意見のない議案はすべて承認されていく。議会は、発言があってはじめて内容のあるものになる。休憩を連発して、休憩時間に論議するような議会は、公式な場で発言のできない人たちによって構成されている可能性がある。それ自体がかなり大きな問題だろう。大事な問題は本会議と委員会の正式な会議の中で行う。かつらぎ町議会では、これが実際におこなわれている。休憩は答弁できなかったり、問題が発生したとき、会議が長引いて疲れてきた時に限られている。

議会だよりの編集を終えて、文字の修正をしたら、今日も6時を回っていた。書類を片付けてパソコンを閉じて、役場の駐車場に止めていた車に乗り込むと、当たりは薄暗かった。橋本市で行われた会議の場所に着いたら6時40分頃になっていた。


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かつらぎ町議会

Posted by 東芝 弘明