住民には力がある

雑感,出来事

地域衰退の危機の中で、地域おこしをどうするのかという話をした。
「生産力が伸びなければだめというのではない」
「地域力が落ちたとしても、住んでいる人が楽しく幸せに生活できればそれでいい」
「高齢化問題という捉え方はまちがってる。高齢化はいいことでもある」
「事業がうまくいかないのは誰が悪いという問題ではない。事業をうまく進める仕組みがない。仕組みを作ることが必要だ」
というような話が出された。
住んでいる人が幸せに感じて生きるということが何よりも大切であり、もちろん、お金も必要だが、食べる事ができ、望むことがそれなりに実現して、8時間の労働と、自由になる自分の時間と、家族の団らんと、地域での心のかよう交流がある。老後の心配はないというような姿が実現すればいいと思う。
そういうことを話し合いながら、住民自身が地域おこしに立ち上がっていくということを考えるべきだと思った。

そう、住民の中には力がある。
行政と同じように情報を共有し、理解もして物事を考えるようになれば、住民は力を合わせて自分たちのことや地域のことを考えはじめる。話を聞きながら山崎亮のコミュニティデザインのいくつかの本をもう一度読もうと考えた。
住民には力があるということを最近、議会モニターの方々との懇談会で感じた。議会モニターが昨年からスタートして、モニターの方々は様々な感想や意見を寄せてくれるようになった。きちんと住民に考える機会をもっていただき、回を重ねていけば、住民はしっかりと意見を表明してくれるようになるという確信を得た。

かつらぎ町の各種審議会(協議会も含む)は、審議会メンバーにほとんどレクチャーをしない。議会と同じようにいきなり予算や決算を何の事前知識も与えずに読み上げ、それを説明に替えて、ご意見は?という問い方をする。このような方法で意見を言える人はほとんどいない。多くの審議会では、その他という事項になって初めて意見が出ることが多い。町は、審議会という体裁をとりながら、町が思い描く方針を無条件で通してもらうことを考えている。そのためには、審議会委員に十分な情報を与えてはならないと無意識に思っている節がある。

もちろん、こういう審議会ばかりではなくなっている。明日行われる長期総合計画の策定の審議会では、和歌山大学観光学部の教授を座長にして、縦横に意見が交わされて審議が行われた。全ての審議会がこういうものに変われば、役場にはもっと知恵が集まってくると思われる。

住民の中には力がある。
住民運動を考えるとき、この考え方を基本にして地域おこしに関わっていきたいと感じた。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明