幼児虐待と子どもの貧困対策に取り組むべき視点

雑感

幼児虐待も子どもの貧困も親の問題ではあるが、親の問題ではない。子どもへの虐待や貧困を社会的に解決する。ここに対策の目的がある。

改めてこどもの貧困とは何かをとらえ直すためにA4の学術論文を読みあさった。あとは前衛と経済に掲載された論文を参考にしようと思っている。
子どもの貧困をどう捉えるのかというときに、親の責任論という視点で子どもの貧困をとらえると落とし穴にはまってしまう。親の育て方に問題があったとしても、親が悪い、親がなっていないというような視点で留まってしまうと、子どもの貧困状態を救えなくなってしまう。親がどういう状況であっても、親に責任があっても、子どもの貧困を如何にして解決するのかという視点をぶれずに貫かないと、子どもの貧困対策にはならない。
当然、親には子どもを養育し庇護する責任はあるけれど、またその責任を親に求めることは必要だけれど、そこにこだわっていると子どもは救えない。

幼児虐待問題は、親に責任のある問題だが、親を通じて子どもの虐待を克服しようとするだけではなく、どんなことがあっても虐待から子どもを守るという視点が貫かれなければならない。同じように子どもの貧困対策も、どんなことがあっても子どもを貧困状態から救い出すという視点が必要になる。その意味では、幼児虐待問題や子どもの貧困問題は、親の問題に解消してはならないということだ。

こういう視点に立っていれば、親が障壁になって子どもに関われないという問題ではなくなる。これは、親を無視して対応すればいいということを言っているのではない。親がどんなにひどい状況だったとしても、そんなことで躊躇したり、親が変わらなければどうしようもないというようなところで立ち止まらず、子どもを守り育むために立ち働くのだ。幼児虐待問題や子どもの貧困問題は、社会的なアプローチによって解決し、子どもを守るべき課題にほかならない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明