真理は党派性を帯びる

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真理は党派性を帯びるということについて書いてみよう。
日本共産党は、科学的社会主義を理論的基礎とする政党だ。科学的社会主義は、哲学と経済学と階級闘争の理論(革命論)、未来社会論(社会主義)という構成をもっている。哲学はものの見方考え方の基礎をなし、経済学は、社会科学の中でもっとも基本的な学問の位置を占める。人間の経済活動は、社会の土台を形成している。経済の動きを抜きに社会を分析することはできない。

政治と経済、社会のさまざまな動きを分析する上で、哲学や経済学や階級闘争の理論は、欠くことのできない視点を与えてくれる。科学的社会主義の理論は、日本共産党にとっては、社会科学と同義の意味をもっている。
哲学は、自然科学と社会科学の発展の成果をすべて取り込んで不断に発展していくものの見方考え方であり、その意味で科学的社会主義の学説は、閉じられた系ではなく開放系の学問だといえる。したがって、時代とともに不断に発展する学説になっている。

物事を全体的にとらえるとともに、生成、発展、消滅の過程の中でとらえる。
日本共産党の一員になり、科学的社会主義を学ぶということは、ものの見方考え方を不断に発展させるということに他ならない。日本共産党員になるということは、自分の成長とともに社会の発展を促進するために生きるということになる。

もちろん、学ぶ努力をすればということだ。学ばなければ、不断の成長も発展もない。
資本主義社会は、階級に分裂した社会であり、階級と階級の利害の対立によって成り立っている社会である。日本社会を支配しているのは、経済的に大きな力をもった勢力であり、この勢力が日本社会の権力を政治的に買収して、社会の政策は決定される。人間は皆平等だという精神は、資本主義の元では形式的に実現しているが、その本質において、人間は皆平等だというまだ実現していない。

格差と貧困も、階級的な支配の元で鮮明に説明される。
資本主義が発展し、企業の側に富が蓄積すればするほど、国民の側には貧困が蓄積する。これは資本主義の発展法則だといえる。

階級社会に分裂したもとでは、真理は党派性を帯びる。
例えば原発問題。
今日の科学的な水準では、原子力を安全に管理できない。この問題は、かなり早い段階から指摘されてきた。核分裂反応をコントロールしているのは、制御棒と分裂反応を促進したり遅らせたりする役割を負っている冷却水(といっても7高気圧という非常に高い気圧のもとで水の状態に留めたもの)である。この冷却水が失われたら、炉心溶融が起こるとともに水素爆発が起こる危険性が非常に高いことは、以前から具体的に指摘されていた。しかも、このような事態が起こったら深刻な放射線汚染にさらされ、対策が困難になることも指摘されていた。
安全神話が日本でまかり通っていた背景には、経済的な利益の追求がある。

原発の安全性は、科学的な知見に基づけば、危険性をはらむものだということは自明のことだったのに、この科学的な知見よりも、経済的な利益が優先されて、安全神話がふりまかれてきた。
安全神話を確立するために、専門家である科学者を最大限活用し、専門家を通じて安全神話をふりまいてきたのだ。御用学者という言葉がある。資本主義社会ほど御用学者を大量に生み出した社会はないだろう。
階級的な利害が対立した社会で、科学的な真理を貫くためには、この経済的な利害を乗り越えて、真理を貫く必要がある。真理を貫けば貫くほど、その真理は党派性を帯びざるを得ない。

真理を徹底的に貫ける立場とは何か。
それは、日本社会のなかで7割以上を占めている労働者の立場に立つということに重なってくる。労働者は、生産手段からの自由という点で失うものを持っていない。ここに優位性がある。
これは、次の角度からも補強されなければならない。圧倒的多数の勢力である労働者が、自分たちのたたかいを勝利に導くためには、徹底的に科学的な真理に立脚することが重要になるということだ。
経済的な利害に左右されることなく、徹底的に科学的な立場に立って、真理を語ることだけが、働く人々を勝利に導くことのできる立場になる。

日本共産党は、政党の利害で動くべきではない。日本共産党によって損なのか得なのかなどの近視眼的なものの見方は、日本共産党にとっては意味がないし、むしろ害がある。
経済的な利害に左右されず真理を追究できる立場に日本共産党は立っている。だからこそ、日本共産党員になって、学ぶということが、自分の成長を保障する道であり、真理を徹底的に探究する道である。すべての共産党員がこう思っている訳ではないだろうが、少なくともぼくは、日本共産党に入党して以来、こう考えてきた。ここに最大の魅力を感じてきたといってもいい。

ぼくにとって学問的な結論が、日本共産党の立場であり、ぼくにとって学問的な出発は、日本共産党だったということだ。もちろん、日本共産党は、人間の集団だから誤りを犯すことも不十分さを持つこともたくさんある。しかし、この立場は、真理に到達できる確かな道筋を与えてくれる。この道に沿って歩くことが、真理探究の保障を与えてくれる。それゆえに面白いと感じてきた。

「私は泉に水を飲みに行くように共産党に行った」という意味の言葉で入党を語ったのはパブロ・ピカソだった。「真理を追究せんとするものは、社会主義者にならざるを得ない」と語った偉大な物理学者もいた。


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Posted by 東芝 弘明