日本の繁栄は、金融制度の発展の上にある

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37歳か38歳の時にタイに旅行に行ったことがある。
タイのバンコクには、日本円に換算すると200万円以上するトヨタカローラがたくさん走っていた。
ぼくは、驚いて添乗員の男性に尋ねた。
「なぜ、年収以上の金額がするトヨタカローラを買えるんですか」
「月賦があるじゃないですか」
運転していた彼は、ぼくの顔を見て即答した。
日本の豊かさは、結局、戦後さまざまなローン制度の確立によってもたらされた。
現金でしか取引できなかった時代、庶民は、一生懸命お金を貯めて小さな家を建てることしかできなかった。家は、庶民にとって手の届かない代物だった。
しかし、いつの頃からか、ローン制度が確立し、マイホームが手に入る時代が始まる。
ウキペディアで少し調べてみよう。まずは戦前。住宅ローンの歴史は100年以上あるようだ。

安田財閥の創設者である安田善次郎は、一般市民のための不動産金融とその付帯事業のため、1896年(明治29年)に東京建物を設立した。1897年(明治30年)に掲載された東京日日新聞の紙面広告によると、返済期間は5年以上15年以内と定められており、これが日本の住宅ローンの原型と言われている。そのため、日本の住宅ローンは、銀行や公的機関ではなく不動産会社から発祥している。

しかし、このような住宅ローンは、庶民が活用できるようなものではなかった。
戦後の住宅ローンについては次のような記述がある。

預金取扱金融機関による住宅ローン [編集] 1970年代後半までは預金取扱金融機関では、現行と同一(低利・長期)の住宅ローンは殆ど開発・普及されずにいた。特に普通銀行では定期預金や国債など短期資金主体で運用しているため、融資に当たっては「流動性の原則」で金利上昇リスクがある長期融資そのものが不得意であることや、一般個人向けの融資商品として総合口座の当座貸越や無担保証書貸付は存在していたものの、個人向けのサービスは預金(貯蓄)業務が主体であった。また、銀行(リテール業務専業に近い相互銀行、信用金庫などは例外)が融資対象としていた個人は、企業の役職者や実業家、専門職、公務員などある程度の地位と安定収入がある者に限られていた。
そのため、借金を受けずに自己資金(貯蓄・財産)の範囲で購入できる物件とするか、親族らから資金援助・贈与を受けて購入するか、阪急電鉄の事例のように住宅の売主との間で私的に融資を受けて返済を行う手段しかなかった。
1970年代前半には銀行を母体に住宅ローンを提供するノンバンクとして「住宅金融専門会社」が設立されたものの、1980年代には金融システムの進展による資金調達の多様化や個人向け業務の拡大などにより、現在に通ずる預金取扱金融機関による住宅ローンが次第に拡充され、住専はバブル期には法人相手の投機性の高い不動産融資に傾斜して行く事になり、1996年に積み上がった巨額の不良債権処理問題(住専問題)を生み出すことになる。
住宅金融公庫による融資 [編集] 前述の事情から民間金融機関による住宅ローンが未発達であったため、持家取得推進を図るため、1950年代に日本政府の特殊法人住宅金融公庫が設立され、公庫融資が普及することになった。住宅投資政策の一環や財政投融資による潤沢な資金調達環境により、25年超の長期間固定金利で民間金融機関よりも低い貸出金利であったこと等から、預金取扱金融機関での住宅ローンが当たり前のように普及した2001年においても総貸出残高の40%余りのシェアを握っていた。しかし、公庫融資は民業を圧迫するという批判が燻りながらもあった。
2001年に小泉政権が発足すると行政改革の推進により、2007年に独立行政法人住宅金融支援機構が発足・承継され、公庫融資は実質廃止されることになった。代替策として不動産担保証券を機関投資家に売却し民間の提携業者に住宅融資資金の供給を行う、フラット35の名称で知られる「証券化支援事業」が導入された。

「住宅金融専門会社」と「住宅金融公庫」が日本の住宅ローンをリードし、やがて民間の金融機関による住宅ローンも一般化していくことになる。ウキペディアの記述を読むと、小泉改革の中で「住宅金融公庫」が破壊されたことも書かれている。
いずれにしても、1970年代から住宅ローンが一般化し、庶民でも住宅が手に入るようになった。今では、さまざまなローン制度が確立し、多くの庶民は、住宅や車などをローンの力で手に入れるようになった。
商売を行っている人や農家の方々、漁業関係者などの自営の人々は、自分の仕事の資金を手に入れるために、さまざまな融資を受け、それを資金にお店や農機具、船などを手に入れて仕事をしている。
日本の豊かさは、このような金融商品の開発とともにもたらされている。
これが震災に遭うとどうなるのだろう。家や車を失うとともに、農地、農機具、農業用施設、お店、機械、船、漁業関係の資材などを失うという事態が起こっている。
再興するためには、各種ローンを何とかしないと展望が見いだせない。
日本の豊かさは、一枚ベールを剥ぐと金融商品によって組み立てられた張りぼてのようなものである。でも、この金融商品による張りぼてなしに日本社会は成り立たない。
角度をかえていえば、この金融商品開発は、資本の側にとってももうけを増やすうえで必要不可欠な仕組みだった。この制度によって、資本は商品の販売を実現し、拡大再生産のサイクルを速めて資本の回転を加速させてきた。国民の側に対する信用制度の充実は、資本主義が発展するための必要不可欠な仕組みだった。
ここまで視野を広げると、震災復興のために国民の側のさまざまなローンを一時猶予し(一定部分は免除が必要だろう)、再建をめざす考え方が必要不可欠になる。戦前の震災からの復興、終戦直後の焦土からの立て直しが、多くの人の場合、着の身着のまま、ゼロからの出発だったのに対し、現在の復興は、各種ローンを抱えたままの復興となる。ここに大きな時代の違いがある。
マイナスからの復興をいったん猶予しながら、復興をめざさないと展望は開けない。
日本共産党の震災復興をめざす政府への提言は、現在的な特徴を鋭く把握して提案したものだ。この提言は真剣に検討される必要がある。


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Posted by 東芝 弘明