従軍慰安婦問題について

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ぼくがはじめて従軍慰安婦の問題を知ったのは、千田夏光さんの「従軍慰安婦・慶子」という作品を読んだときだった。まだ20代の前半だった。Amazonで検索してみると2005年に復刻版がクラブハウスから出されている。ぼくが読んだのはたしか、光文社刊だったと思う。
千田さんは、2000年に亡くなった作家だが、「終焉の姉妹」や「踏まれ草」というノンフィクションもあり、衝撃を受ける本が多かった。
「従軍慰安婦・慶子」の復刻版の帯には、「これを読まずに女の戦場と日本の戦争は語れない」、「すべてはこのルポルタージュから始まった」とある。
20数年前に読んだ本の記憶は、かなり漠然としているが、この本を読んではじめて従軍慰安婦という言葉を知り、そのすさまじい実態を知った。
この本を読んでから数年たったときに、陸軍に所属していた経験を持っていた年配の方から、直に軍の中にあった慰安婦と慰安所の話を聞いたことがあった。
多くの同僚が「突撃一番」というゴムサックを手にもって一列に並んで立っていたという話が印象的だった。
「軍の関与がなかった」
「強制連行はなかった」
こういう話はまったく通用しない。
今日は、桝添氏がこんなことをテレビタックルで語っていた。
「平時における北朝鮮の拉致問題と戦時における従軍慰安婦の問題を同列に語ることはできない」
侵略戦争をおこなって、甘言や強制連行で連れてきた慰安婦問題と拉致問題は次元の違う問題だという。桝添氏の区別は、ぼくには理解できない。戦争時に起こったことは、戦時だから許されるとでもいうのだろうか。
世界は、北朝鮮の拉致問題も従軍慰安婦問題を同じ強制連行問題だととらえている。区別する考え方は、安倍さんのいう「狭義と広義の強制連行」とほとんど変わらない。
731部隊のことをなかったかのようにいい、南京大虐殺を否定し、沖縄戦での軍の関与による集団自決もなかったかのようにいう日本政府。1つ1つの問題を、きれいに描いていけば、安倍さんのいう「美しい国」ができあがる。
でもその美しい国は、虎に厚化粧をして、猫だったのだと言いくるめるようなものだ。
虎を見たことのない若者に、虎を猫だといって教えても、本質は何も変わらない。
日本の学校で通用するウソと偽りは、外国に出た場合通用しない。
マスコミが、いくら自民党政治や政府の言い分に荷担しても、それは、井の中の蛙、大海を知らずということでしかない。
国際化の時代に、日本は、ものすごく恥ずかしい国になろうとしているのではなかろうか。


千田 夏光
従軍慰安婦・慶子―死線をさまよった女の証言


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Posted by 東芝 弘明