令和、発表

雑感

朝、4時30分頃に眠ったのに今日はそんなに眠たくなかった。ただ夜ご飯を食べてから娘を駅に迎えに行くまでの間、意識がなくなった。
電話が鳴った。
娘からだった。
「おとう、もう」
牛か?
「ごめん、ごめん、寝てしもた」
娘は寒い中、駅の横に立っていた。こういう形になったのは2日連続だった。

元号が発表された。令和。関西弁だと「れいわ」という場合アクセントがどうもないか、それとも「わ」にあるか、「れいわー」という感じになる。東京の方は「れいわ」の「れ」にアクセントがある。キレがいい。「れいわー」みたいな感じになるとどうも次に年をいいにくい。「れいわ10年」の場合、アクセントが前にあればキレのいい言い方になるが、「れいわー10年」みたいな感じになるとかなり変だ。
関西弁の中に東京弁を交えていわないと今回の元号はうまく言えない。

とにかく、ぼくは日本共産党員だし、元号の法制化に対してリアルタイムで、押しつけられるのは嫌だとなった世代だった。押しつけ反対の運動が当時はあった。使うのは自由だが、使わなければならないというのには反対というものだ。
とくに官公庁が慣例で元号を公式文書作成の際に使うとなっていたので、それは嫌だというスタンスだった。
しかし、議員になって質問中に町長から「西暦でいわれてもよく分からない」と言われたことがあり、質問の趣旨が相手に通じないのでは話にならないなと感じて、元号を使うようになった。平成の場合、「へいせい」は平たい。頭にも後ろにもアクセントは付かない。東京でも関西でもアクセントには違いがない。そう、関西でも東京でも聞いても違和感がなかった。

今回のファース・トインプレッションは、しゃべりにくい、聞き取りにくいということだった。まず「れいわ」ではなく「めいわ」と聞こえた。その次に感じたのが「いいにくさ」だった。しかし、管さんが「めいわ」の「め」にアクセントを付けてしゃべっているのをテレビで見て、この言い方だったら数字を続けてもしゃべれるかとなった。
元号を使うのにまず、関西人はアクセントを東京から押しつけられるということだ。安倍さんの命令によって、和をつくるという意味を含ませたんじゃないかと勘ぐってしまった令和。使い慣れるのに時間がかかりそうだ。

あれだけテレビが元号について大騒ぎしていたのに、時間が立ったらそんなにヒートアップしない感じがある。号外を我先にと手に取った群衆シーンは、まさに集団心理のなせる技だと思う。
平成が令和になったからといって、時代が変わるというものではない。新時代始まるといってもぴんとこない。1999年から2000年というときも、結局人間が習慣で決めた暦によって、時代を区分しているだけなので、20世紀から21世紀へと言われても、本当のところは「昨日に続く今日、今日に続く明日」ということなのだろう。

5月1日から令和が始まる。元号が変わるだけで役所の書類の表記が変わる。これにかかる経費の方が心配だ。日本国中でいったいどれだけの経費がかかるのだろうか。せめて新元号は1月1日にしてほしかった。


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雑感

Posted by 東芝 弘明