祇園祭、当日

雑感

朝5時25分に予鈴の目覚ましを鳴らして、5時30分にもう一度本鈴の目覚ましを鳴らした。6時に家を出て集会所に行き、カギを開けてストーブに電気を入れた。お茶と缶コーヒーを車から降ろす。6時30分の10分前ぐらいになると役員さんとお手伝いの人が集まってきた。ガスコンロに火を付け、お水を貼ったお釜を乗せ、その上に3段、蒸し器を乗せた。蒸し器の中には洗った餅米が入っている。お湯が沸いてから30分ほどで蒸し上がるのだという。
2.5升ずつ洗ったお餅がネットに入っていて、それが蒸し器に移され蒸すということになる。
餅つき器が3台。1台は2升用、2台が3升用で2升用の機械がお米を蒸し、蒸したらお米をつく一連の作業ができる優れものだった。最初につき上がったのは、2升用の機械の方だった。餅をこねるためにモロブタにクッキングシートを敷き餅取り粉を巻いておく。こうすれば熱々のお餅でも手にくっつかない。
こね始めてもうまくできなかった。どんぐさい。
誰かが餅切り器を2台借りて来てそれが活躍しはじめた。ハンドルを3回まわすと団子が押し出されてくる。それを機械の出口のプラスチック製のカッターで切り落とすと切り落とした形が残らずきれいなお餅に丸めることができる。餅切り器は、珈琲豆の豆ひき器に形が似ている。もしかしたらこの機械の形状を真似して作られたのかもしれない。機械は、3升ほどのついたお餅をすり鉢状の容器に入れハンドルを回すと円筒からお餅が押し出されてくるというもの。機械を固定するために機械の底が吸盤になっている。吸盤をテーブルに吸い付けると機械が固定されるので、作業がすごくしやすくなる。
ハンドルを回してお餅が押し出されてくるという作業を少しさせてもらった。そのあとは、出てきたお餅を切り離す作業をしていた。次から次にお餅が切り取られ出来上がっていく。9時過ぎには30㎏のお餅がすべて出来上がった。

祇園祭の祭事は10時30分から始まる。掃除は9時からだった。お餅のお手伝いも9時になったらたくさん集まって来た。草刈りもすることがなかったので、9時5分に終了宣言をさせていただき、10時30分から般若心経の唱和の儀式があることを伝え、餅まきは11時からだともう一度お伝えした。

ぼくたちの住む地域は、いつの時代からだろうか。神仏習合の習慣がある。ここの祇園さんと呼ばれている元神社もお寺と神社が一体になったもので、残されている鳥居をくぐると南無阿弥陀仏と書かれた石盤が立てられている。南無阿弥陀仏だから真言宗ではないが、ある時期から弘法大師を祀り、祇園さんを司る神様も祀られている。

10時30分になった。町内会長なので一番前に座り挨拶をさせていただき、カセットテープを再生して、般若心経を唱える。最初の般若心経には仏説という言葉がない。こっちが神様のための般若心経で、後半は仏説から始まる般若心経が唱えられる。もともと、ここの神社とお寺には、墓地もあったのだという。信者も多くいたが、江戸時代に大きな火事があって折居の人口は減少したらしい。
祇園さんの信者さんは、ほんの数軒になってしまっているが、毎年これらの方々が祭壇を整え、お供えをしてお祭りの準備をしてくれる。その時には、古い掛け軸も飾られる。

折居の集会場の敷地と建物は祇園さんの所有であり、地域の人々は祇園さんから集会所を借りて運営している。年に1回のこの「祇園さん」と呼ばれているお祭りは、建物と敷地を借りている折居地区の人々によるお礼の意味を込めた祭事になっている。
前日準備と朝からのお餅つき、祭事が終わって11時からお餅まきとなった。
つきたてのお餅がまかれる。
11時きっかりに餅まきをはじめて、終了したのが11時1分だった。あっという間のお餅まきだった。それまでにかかった作業時間と労力をわずか1分で終了するという潔さが面白かった。
集会所の片付けが終わり、関係者にお礼やら配り物を終えたら3時を過ぎていた。
それから後は、妻と2人食卓にパソコンを向かい合わせに開いて、妻は園だよりの作成、ぼくは、選挙はがきの修正と発注作業に集中した。ぼくは寝不足がたたってきて、発注者業になった時点で睡魔に襲われた。絶対に間違って発注してはならないので、表題に枚数を書き込んで発注した。最短での印刷にしたので火曜日には全て印刷して届くことになった。

もう限界。そういう形になったので仮眠を取ることにした。何時に眠ったのか分からなかったが、電話で起こされた。時計を見ると5時30分だった。すっきり起きることができたので九度山町の選挙はがきの作成にとりかかった。
今年撮った候補者の写真のバリエーションが少なかったので、以前の写真の中からいい物はないか探してみた。写真と記事と野関係によってイメージができる。写真がもつイメージに記事を合わせる。今回の候補者のカラーは赤。赤は主張が強いので全面的に赤にすると強烈になるし、薄くしていくと赤味を変えていかないと薄い赤にはならないので色のバランスが難しい。思いついたのは、アクセントに赤を使って赤がイメージカラーだという形にした。
自分の作業をしながら妻の疑問に答えて、サポートするという形になった。
「一太郎がいい」
そう言ったのはぼくだ。
「もう、一太郎なんて使っている人はいない。今はwordだ」
この言葉が呪縛のようになって妻に襲いかかってくる。娘が追い打ちをかけるように「そうやで。wordや」という。
妻は、言葉の呪縛にさいなまれながら、
「やっぱりwordで作った方が良かったかな」を連発しながら作業をしていた。

何度も妻からの要請が出てくるので、その度にネットで使用方法を検索して、操作の仕方をレクチャーした。画像の配置の仕方、文字の配置の仕方など同じような操作がそれぞれのソフトの流儀によって操作方法がまとめられている。一太郎は、国産ソフトなのでメニューの言葉が実に日本ゴチックだった。初めての人でもメニューの意味が理解しやすいものになっていた。ぼくは、そういうところがいいなと思いながら見ていた。
新しい一太郎は、花子とマルチタスクで連携できるようになっており、簡単にPDFに書き出せるようになっていた。PDFファイルを作れるので、一太郎がないパソコンにもファイルを渡し印刷できるのはいいと思った。
作業を手伝った感じでは、一太郎の方がwordよりも文書の作成がしやすいだろうと思った。

ぼくは、このアドバイスと平行してInDesignではがきを作成した。InDesignは、何でもできる。画像と文字の配置に何の制約もない。文書は全部、いわばテキストボックスとしてあつかわれる。このテキストボックスの機能は、申し分のないほど使いやすく、文字の処理も日本語のページものを作成する上で欠かすことのできない文字組を実現している。
wordも一太郎も行という考え方に基本があるワープロなので、この基本を元に自由なレイアウトを組むのには限界がある。そういうことを感じながら作業を行っていたら午後10時前になったので、2人で夕食を食べに行った。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明