3人と話をした

出来事

朝から3人の人に会って話を聞いた。やはり人の話を聞くのは楽しい。毎日、このようにしていろいろな方の話を聞きながら生きていければ面白いだろうなと思う。人の話を聞いていると、いつも思うのは、多くの人は人の話を余り聞かないということだ。だからじっくり聞いてくれる人を、多くの人は待っている。

カウンセラーや相談を行っている人々が、信頼されるのは、人の話をじっくり聞いてくれるからだろう。傾聴ということに興味があるのだけれど、本当の意味で傾聴活動をするためには、セミナーを受講する必要があるだろう。機会を作って傾聴のセミナーを受けたいと思っている。

「ブログを読んでいるで」という話も聞かせてもらった。直接コメントがなくても、多くの人がぼくのブログを読んでくれている。それが交流にもなっている。自分の思いはブログを通じていろいろな人に伝わっている。そういうことも感じた。

公表しているブログという存在は、自分のことをある程度表に出しているものになっている。自分を全部さらけ出すことはない。そんなことは最初から不可能だ。自分に向けたノートに、公表を前提としないで日記を書くのとは全く違う。書いているブログというのは、公表することを前提に書かれている。公表するための日記なので閉じられた日記とは性格を異にする。

議員の公式ブログは、議員活動を自分で紹介しているものだが、ぼくが毎日書いているブログは、このジャンルからも外れている。議員の公式ブログと違うのは、もう少し自分をさらけ出しているということだろう。しかし、露出の仕方には配慮と節度をもってきたと自分では思っている。何を明らかにして、何を書かないのか。その中でどの部分の本音を積極的に書くのか。そういうことを考えながら書くということになる。今日のブログも、人と会ったことは書いたが誰と何のためにあったのかは書いていない。今日の場合は、そこに踏み込んで書くと公表してはならない領域に入ってしまう。どこまでどういう形で書くのか。長年書いているとその辺のさじ加減は、面白いほどよく分かってくる。

自分の思いや本音の部分をきちんと書かないと交流は始まらないが、これは感情を書くというのではない。人間の感情が延々と綴られた文章は、読んでいると苦しくなってくる。では何を書くのかというと、事実を書くということだ。事実に対して自分の思いは1行か数行でいい。そういう書き方をしないと読んでもらえない。人は、感情を読みたいのではなくて情報を得たいと思っているのではないだろうか。情報とともにその人の独自の見方がほんの少し入っていれば、独自の視点のある文章になる。そういう文章が面白いのではないだろうか。

夕方は町内会の活動で2軒訪問した。その後、事務所に戻って文書の発送作業を行った。


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出来事

Posted by 東芝 弘明