還暦の誕生日だった

雑感,出来事

60歳になった。同級生が一足早く60歳になったのを横で見ながらいたのだけれど、自分もみんなと並んだ感じがした。還暦のことを調べると十二支と十干との組み合わせが60になるので還暦で一回りするとあった。十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥のこと、十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸のことだ。

新たなスタートラインに立ったと思うことにした。人生のはやさと時間のなさを感じる。あと20年ほどの人生になるかも知れないと思うが、容姿は老境に入っていく。29から30になるときに30歳になるのはいやだなと思ったことがあった。それから30年が経った。30年前と言ってもそんなに昔という感じがしない。その頃の感覚が鮮明に残っている。今から30年前の時代と今の時代と大きく変わったのはコンピュータ化だった。コンピュータがすべてのものの中に入ってきたので、そのことによっていろいろなものが大きく変わった。

事務はすべて手書きだった時代から、すべての作業をコンピュータで行う形に移行した。計算が苦手だったが、表計算ソフトのおかげで正確に答えが出せるようになった。印刷は、コピーとプリンターで行うように変わり、悩ましかったフォントの環境も一変した。

活字がすべてのものにあふれ、手書きの文字が少なくなった。30年前から今の時代への変化のカギはコンピュータだったというのはあながち間違っていないと思われる。風景はそんなに変わっていない。職場の環境は大きく変わった。ぼくが共産党の事務所に入った1983年は、輪転機さえない状況だった。印刷物は印刷会社への外注だった。手書きのビラをそのまま印刷会社で印刷してもらうという形だった。

今の事務所には、コピー1台、輪転機1台、プリンターが4台ある。コピーがFAXを兼ねている。インターネット環境があり、仕事はすべてコンピュータで行われている。事務仕事はコンピュータなしには進まない。機関紙も財政も文書もみんなコンピュータだ。

遠い昔だと思うのは、小学校の頃のことだ。母が生きていた時代。小学校にいつもいる母のまわりで遊んでいた時代は、思い出の中にかすんでいる。教師だった母と妹と一緒に小学校に宿直したこともあった。校長先生と役場の職員が夜、ストーブの上で焼いた椎茸をもらって食べたこともあった。横にあったテレビは白黒でプロレスの放映をしていた記憶もある。思い出の詰まった新城小学校はもうなくなってしまった。学校のあった場所と校舎の一部は地域の交流センターとして生まれ変わっている。

子どもの頃の時代に行ってみたい気持ちがある。自然の中で生活していたあの時代。新城は、暮らしている場所と山と川とがほんとに近かったので、自然と胸の中に景色の移り変わりが染み込んでくるような感じがあった。胸の中に季節の色合いが染み込んでくるような感覚は、毎日そこで暮らさないと感じ取ることはできない。住んでいる者だけの特権だと思われる。

還暦になったときのスタートラインは、小学校の時代なのか、それとも日本共産党に入った18歳なのか。小学校の頃の時代と18歳のときと、二つのスタートラインを胸の中にもって、再スタートを切りたいと思う。自分の中の二つの時代を胸に、毎日を生きていく。そう考えるだけでわくわくしてきた。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明