パラダイムシフトの予感

雑感

ブログを書き始めて丸16年にもうすぐなろうとしています。ぼくのブログは、自由自在に文章を書くことが唯一の目的でした。文章を自由に書いてきて身についたことは、①潜在意識化で文章が瞬時に組み立つようになったこと、②マイクを握ったら原稿なしに話ができるようになったこと、③自分の頭で物事を考えられるようになったこと、④論文や散文など文章の書き方には大きな違いがあり、それらの違いをふまえて、ある程度自由に書けるようになったことです。これらの力は大きかったと思います。文章を書く力の蓄積は、至る所で役に立っています。ブログで考えて書いたことは、自分の中に折りたたまれ、一つ一つが引き出しのようになっています。人との会話の中でときどきそれらの引き出しを出すことがあります。書いたことは心の中に折りたたまれるということでしょうか。ブログを書き続けることによって、蓄積してきた力をさらに伸ばしていきたいと思います。そうすることが、60歳を超えてもさらに成長できる力になると思います。

老化ということも考えざるをえない歳になりました。歳をとっていくと、経験によってものごとを判断してしまいがちです。しかし、経験への依存は、過去の遺産にしがみつくことです。具体的現実に肉薄するためには、新しい変化に食い込んでいかなければなりません。新たなことに挑戦しないと、過去の遺産への依存が強まり、実は変化を見失うことになります。それは老化につながると思います。絶えず新しいことを取り込んで、現実の分析に生かさないと老化の中に埋没して、萎縮し頑固になると思います。柔軟にしなやかに生きたいのであれば、新たなことに挑戦する努力を失ってはならないと思っています。

ブログによって人間関係が広がりました。思わぬところに読者の方はいます。文章は多方面の方に読まれていました。記事を通じて全国の人とも結びついた瞬間がいくつもありました。
16年間の蓄積を本にしたら30数冊の本ができると思います。これらの記事の中には、ずっと残しておきたいものもあります。生きてきた足跡が、ブログの中には蓄積していると思います。議員として公表した文章なので、何もかもを赤裸々に書くことはできていませんし、そういうことは、望むべくもないことでした。しかし、自分の心情の吐露は、かなりのものになったと思います。

ブログには時代も反映しています。安倍さんが総理大臣だった時代は7年を超えました。したがって半分ぐらいは安倍内閣の時代のものにならざるをえませんでした。国政の問題は、安倍内閣のもとで考えざるをえなかったということです。2005年のはじめには、従軍慰安婦の問題でNHKの番組への介入問題が発生しました。この事件の中心人物の1人は安倍さんでした。ブログで取り上げた社会的事件の一つは、この問題だったので安倍さんによる時代の右傾化は、刻印のようにブログの中に残っています。

12月31日は、毎年、1年を振り返ることにしています。2020年は、新型コロナについて対応しなければならない1年となりました。この中で色々なことを考えました。見えていなかったことも見え始めたと思います。安倍政権から菅政権への変化の中で、現政権は、より一層新自由主義的な政策にのめり込もうとしています。1980年代から新自由主義的な改革を積み重ねてきて、今や政権は、1本のロープの上を暴走する一輪車のようになってしまいました。彼らには、もはや余裕がない。新自由主義以外の選択肢が見えなくなって、転落したくなければスピードを上げて走るしかないようです。しかしそれは、ロープから車輪が外れて転落する危険性に支配されています。国民もろとも真っ逆さまに奈落の底に転落するのか、それともこの暴走を止めて、人間らしい世の中への転換を図るようになるのか。そういう分岐点に立ちつつあると思います。

新型コロナは、暴走する新自由主義の危うさを多くの人の目に明らかにしました。ケアに優しい社会と8時間働いたら普通に暮らせる社会への転換を果たすだけで、日本は劇的に生まれ変わると思います。野党連合政権への転換は、こういう政治的転換を生み出すものだと思います。資本主義は、剰余価値の生産という搾取の仕組みのもとで多くの矛盾を抱えていますが、まだまだ人間を大切にする方向への転換できる可能性を持っています。しかもこの転換は、次の新しい社会への橋渡しにもなると思います。
日本共産党は、人類は、資本主義の限界を乗り越えてさらに社会全体を豊かに発展させる力をもっていると考えています。「人類の進歩と調和」は、1970年代の万博のときのイメージをはるかに超えて、豊かな内容を持ったものとして再建できると思っています。個人の尊厳を中心にすえて、ジェンダー平等を実現した先に、個人の成長と発展に基礎をおいた未来社会が開けます。人間の夢と希望が、努力によって開ける社会が、資本主義の先にあるということです。生産手段の社会化と労働時間の短縮、それにもとづく豊かな生活の実現、自由な時間の拡大が、人間の可能性を伸ばす物質的な土台になります。

2021年は、こういう方向への転換が生まれる年にしたいですね。野党連合政権構想が実現するように努力したいと思います。2021年は、パラダイムシフトが生まれる年になりたいですね。社会は、何年経ってもちっとも変化しないような一時期をへたのちに、40年が数日のように変化するような時期を迎えると思います。明治維新や太平洋戦争のときの日本帝国主義の敗北のように。

日本帝国主義が敗北したことによって戦後が始まりました。あのとき、パラダイムシフトが劇的に起こりました。日本帝国主義の敗北、日本国憲法の誕生への変化は、社会的な進歩だったと思います。戦前が良かったと頭の中で考えている安倍さんたちも含めて、今の時代に生きている人々は全て、戦後の劇的な民主的転換の恩恵を受けていると思います。今、戦後の大転換のようなパラダイムシフトが起こりうる時代に入りつつあると思います。今度起こるのは、日本国憲法を徹底的に実現する民主主義革命だと思います。日本は、外形的には国民主権が実現していますが、本当の意味で国民主権はまだ実現しているとは言いがたいです。主権を国民が手に入れて日本国憲法を実現すること自体が、日本にとっては非常に大きなパラダイムシフトになると思います。
日本国憲法は2度生まれる。一度目は先進的な憲法として、二度目は現実の生きた指針として。
そう思います。

1年間、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。


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雑感

Posted by 東芝 弘明