松上京子さんの講演 2006年2月24日(金)

出来事

日曜版を役場に配達し、速い昼食を取って、町村議会議員人権研修会に出席するために総合文化会館前に行った。
今日の研修会は、紀州南部ロイヤルホテルでおこなわれた。
会場には30分前に到着した。
コーヒーを飲みながら読みかけの本「教育改革と新自由主義」を読んだ。
この本の最後には、東京都における君が代・日の丸の強要問題が克明にルポされていた。
まさに「踏み絵」だ。教職員を処分するために教育指導主事たちが事前に教師が座るイスの位置まで確認し、課題を抱えた教員を監視するということまでおこなわれていた。
都立の養護学校では、車いすからたつことのできない生徒を無理矢理抱きかかえて起立させようとした校長先生の話が紹介されている。
日本人は、強権をもって指導を強めた場合、かくも無惨に非人間的な指導をおこなうようになるという見本のような話だ。おそらく東京都は、この東京都の指導と人権の尊重は矛盾しないと答えるだろう。
暗黒が教育界の前に立ちはだかっている。
2時から始まった講演は、松上京子さんというエッセイストによるお話だった。この方は、田辺市在住の方で25歳の時にバイクの事故で脊髄損傷となり、車いす生活となった方だった。
非常にきれいな発音でお話をされる方だ。
障害者を普通の人間として扱い接していただきたいという話だった。カヌーや水上スキーを楽しみ、車を運転し、飛行機にも乗って東京にも行きホテルにも泊まるという話の中で、自分のやりたいことを楽しみ、人との出会いを大切にして充実して生きている姿が自然な形で伝わってきた。
松上さんは、岩出町の小学校5年生の女の子の感想文を紹介していた。
「バリアは私の目でした。私は目で見て『変な人やなあ』と思っていました。これが私のバリアでした」
障害者を見ると「かわいそうな人」とか「助けてあげなければならない人」とか感じている子どもたちが多い。こう思っていた子どもたちに、障害を持った人を普通の人と変わらずに接してほしいという話を松上さんは具体的な例をあげながら話した。すると、5年生の女の子はこう受けとめてくれたという話だった。
ぼくにも思い至ることがある。でも障害を持った人で親しくなった方との間では、障害の有無をそんなに感じなくなっている自分もいる。障害を過度に意識しないで普通に接しられるほどに障害者の方と親しくなっていない。この体験の少なさ、交流の薄さこそが問題なのかも知れない。
バリアフリーといいながら、人間と人間との交流にバリアフリーが実現していない。
障害を持った方がもっと自由に社会参加できるようにするためには何が必要なのだろうか。
議員とふれあう機会なのだから、ぼくは、自治体についての求めていることは何かを聞いてみたかった。
しかし、町村議会の講演会、研修会というのは、質疑の時間をまったく取らない。いつも一方的に話をしておしまいとなる。16年間これはまったく変わらない。
主催者は、後援者と会場との交流なんてことを考えないのだろうか。
今日の話の中では、障害者用のパーキングエリアが狭すぎる話や、バリアフリーをうたっているホテルの部屋にユニットバスがすえられていて、20センチも段差があるという話も紹介されていた。
今度、もう一度機会があったらバリアフリーに対するとりくみで何が問われているのか、ディスカッションしてみたい。
帰りの車の中で、買い求めた「車椅子から青空が見える」という松上さんの本を半分ぐらい読んだ。伸びやかさの感じられるきれいな文章だった。彼女のまわりの人々や出会った人々が、本の中ですてきに輝いていた。


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出来事

Posted by 東芝 弘明