脳の話ー池谷祐二さんの本を読んで

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人間の脳というのは、好奇心を持ち、物事を一生懸命追求していく中で、活動が活発になり、神経細胞が増え、記憶力も高まるらしい。
年齢による衰えというものもあるかも知れないが、使えば使うほど脳は活性化するらしい。
海馬の研修をしている池谷祐二さんの本は、脳の働きを知る上で非常に示唆に富んだ話が満載されている。「脳はなにかと言い訳する」という本を現在読んでいる。この本は非常に面白い。
脳が刺激される内容に富んでいるので、読むだけで脳が刺激を受けて活性化するかも知れない。人生観が変わるかも知れない。
脳は365日、つまり人間が生きている限り、絶えずフル回転しているらしい。眠っている間にも脳は、起きていた間に体験したことを早送りで再生し、記憶に蓄積しているらしい。
注意して、意識して一生懸命に議会の準備をし、やり取りをしたことは、かなり鮮明に記憶に残っている。
脳は、体験したことを類型化し、瞬時に判断し、状況に合わせて変化していく。
たとえば、車の運転。
最初、習い始めのときには、ものすごく緊張して運転するが、ハンドルを握り、後方を確認し、前方を確認して、しかも左右に目を配り、クラッチとブレーキを使い分け、ギヤをシフトダウンやシフトアップしてしてなど、実にたくさんのことを一度に処理しなければならないので、なかなかうまくいかない。
しかし、
運転免許を取り、慣れてくると、車の運転はほとんど無意識の状態の中で行われるように変わり、ジュースを飲んだり、パンを食べたり、ラジオを聞いたり、横に乗った人と話したりして自由自在に運転するようになる。
パソコンのキーボードも同じ。
この文章を打っているときも、ほとんど意識は文章を書く作業に集中していて、キーボードを叩いているという意識がほとんどない。キー操作もかなり速い。
これは、脳が訓練によって順応していくということであり、状況への適応性を物語るものであるらしい。
車の運転も普段はあんまり緊張しないで行われている。知らない町に行き知らない道を走る場合は、運転に集中し、緊張もするのだろうけれど、普段走っている道の場合は、注意力は低いのではなかろうか。
脳は、体験したこと、知見したことを瞬時に判断できるので、われわれは悩むことなしにさまざまな物事を瞬時に判断するようになるのだという。脳のこの機能なしには、人間は何事もなしえない。この機能なしに熟練は育たない。しかし、これは、同時に対象をていねいに見ないで、思いこみで判断することをも意味する。これをマンネリズムとよんでもいいだろう。
熟練と思いこみは表裏一体。
こんなことを学んでいると、哲学の考え方と脳の機能が一致しているのがよく分かる。
人間が物事を認識するとき、実際は運動の中にあり変化の中にある物事を、この運動や変化の中から切り離して認識する。またそうしないと物事をとらえることはできない。
これは、螺旋状に運動し変化している物事を、そこから切り離して、理解するというイメージでとらえられる。
これをレーニンは、「曲線が直線に変化する」とよんだ。人間の認識というのは、まさにこういう作用なのだと思う。
曲線から抜き出された事物は直線に転化するということは、ここに主観的な判断、思いこみが入っているということだろう。脳を活性化させるためには、場合によっては、当たり前のこととしてとらえていた認識を疑ってかかることが大切だと思う。
「すべては疑いうる」──こういう視点で物事をとらえ直すということだ。
マンネリ化していると感じたら、ものごとを一からすえなおしてとらえ直す作業が必要なのだろう。それは対象を深く把握する契機になりうる。
何事もすべて、好奇心を持って生き生きととらえる。ここに脳活性化の道と対象の本質に迫る道がある。
本当の熟練の使い手の方々は、熟練の技に達しながらも、同時に自分の技術に対し、細かな視点で絶えず現在の技術を乗り越えようとする。自分の何が不十分で、どの方向で努力しなければならないかを知っている。それは、自分の作業をたえず、根本的に批判し、乗り越えようととらえ直しているのだと思われる。
これでいい──こういう方々にとって、こういう到達はありえない。
こういうことは科学的な研究にも言える。
私たちの常識は、多かれ少なかれ、ものすごく多くの思いこみに満ちている。科学は、この当たり前だと信じられていた常識や科学的な知見、学説、法則、仮説に挑み続け、ものすごい時間をかけてそれをひっくり返してきた。
学ぶということは、事象の裏側にあるなかなか見えない本質や事実に迫り、科学的な知見を広げていく作業なのかも知れない。すぐには見えない豊かな物事の本質に絶えず迫っていく歩み。そこには驚きと発見の連続がある。
科学の目は、人間を豊かにする目であり、世界の見方を絶えず変える目である。
世界が、縦にも横にも斜めにも、時間的にも空間的にも広がる。これが学ぶことのおもしろみなのかも知れない。
人生は一度しかない。同じ人生を歩むのであれば、豊かな科学の目をもって、自分の見れる世界をどんどん広げる生き方の方が楽しい。
1を知れば100を知れる生き方は、同じ人生を100倍楽しむ生き方なのかも知れない。
深いものの見方ができる人の人生は、無性に面白い。
そう感じる。
学ぶとは、目に見えない事物の本質を見ることなのかも知れない。


池谷 裕二
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?


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Posted by 東芝 弘明