『ラストステージ』

雑感

雑誌『民主文学』の9月号の巻頭に掲載されたかがわ直子さんの短編『ラストステージ』を読んだ。H市として描かれている地域は、なじみのある舞台となじみのある人々をモチーフにした作品だった。どうしてこの方は党に入ったんだろうという思いに対して、作品の中で、そのことの琴線に触れている作品だったので心の中に染み込んだ。

人は、さまざまな人生体験を織り込んで生きている。他の人に話さないこと、話せないこと、話したくないことをそれぞれが抱えている。それが人間の人生というものだろう。しかし、それでいい。日本共産党の活動は、人生も家庭環境も生きてきた歴史も違う人々が、世の中をよくしたいという思いで一致して力を合わしている組織だ。話したいことは話していいし、話したくないことは話さなくていい。そういう柔らかな関係の中で、ときどき本音も吐露しつつ生きているところに魅力がある。

ぼくは、今は共産党の議員として、あと何年になるかは分からないが、この位置にいて、党の中でも重い責任を担って生きていく。しかしその先、今の社会的な位置から外れても、党員の一人として生活していきたいと思う。世の中をよくしたい、民主主義を少しでも前に進めたい、平和を守りたい、暮らしを豊かにしたいなど、いろいろな願いが党員の中にあると思うけれど、そこにはその人の体験と生き方が重ね合わされている。ときどき、党員として活動していると、党員の純粋な思いに出会ったり触れたりする。そこには人生の喜びを共有できる人間関係がある。人は心を通わせあいながら同じ時間を生きる。ここに一つの喜びがある。

かがわさんの作品を読んでいると、登場人物の松井さんが、180センチある体でまっすぐに立ち、党のノボリをもっている姿が描写され、「これが今決めた俺のアンサーなんだよ」と言う。
これは、息子に一緒に住まないかという父を思っての提案に対しての言葉だった。
このあとの吉本さんという男性とのやりとりもいい。

紀の川の流れを挟んで南と北に分かれた地域のなかで、まだまだ日本共産党は小さいけれど、地方自治体の暮らしに関わってさまざまなことが生起してきた中で、一歩でも二歩でも物事をよくしたいという思いで多くの提案を重ね、数多くの変化を生み出してきた。戦後の党の歴史は、世の中をよくするという努力の積み重ねの中にあった。その努力は、未来社会と地続きにつながっているという。そういわれると30年間努力して来たことも含めてなんだか嬉しくなる。

かつらぎ町で学校給食を実現するのに、ぼくと宮井さんが議員になってからでも24年かかった。ぼくの母は、新城小学校に赴任していた教員の時代に、学校での完全給食を求める請願に署名をしていた。議員になって、保存されている過去の署名用紙の中に母の名前があった。住民の運動は1970年代のはじめから続いていた。
かがわさんの短編は、紀の川を挟んだ紀北と呼ばれる地域で生きてきた日本共産党員の生きた姿を、文学という形で残すことの意味を考えさせてくれる作品だった。


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雑感

Posted by 東芝 弘明