会議の極意はここにある?

雑感

会議でみんなに意見を聞いて、意見がかなり食い違ったので採決を取るという形になったことがある。
意見が食い違ったのでまとまらないと思ったということには、異を唱えたい。

集団で意見交換して、意見がバラバラだったらもうまとまらないと思うのは違う。もちろん、議論を尽くしても意見が一致しないということはたくさんある。しかし、一通り意見を出し合った段階で、意見が一致しなかったから採決というのでは、会議を開く意味がない。

意見が一致しなかったところから次の段階の会議が始まる。会議の2ラウンド目で、どうしてそう考えるのかという点を掘り下げることができれば、テーマが鮮明になってくる。相手の話を尊重して、話し合いを重ねつつ、横たわっている事実に基づいて考え方を深めていけば、意見の一致が得られることは多々ある。

分岐点は、話し合えば一致すると思っているのか、それとも話し合っても意見は一致しないと思っているのかにある。
ぼくは深い議論が組織されると、論議のテーマが人の発言から離れ、テーマについて考えられるようになって、一致点が生まれてくると思っている。意見をまとめるのは座長でもリーダーでもない。意見をまとめるのは、議論に参加しているメンバーだ。もちろん、意見がまとまるプロセスの中には、妥協や歩み寄り、発見(正しいこと、誤っていること)、共感、思いやりなど色々な思いが入り交じる。これがいいのだ。

会議の進行役にとって重要な視点は、(1)意見を出し合えば意見はまとまるという確信、(2)議論しているメンバーに対する信頼だろう。コーディネートは誘導尋問ではない。メンバーを信頼していれば、「意見が食い違いましたね。これからどうしますか」という問いかけができる。「さあここからみなさん、ここから考えて下さい」ということだ。

会議のリーダーが、落とし所に向かって会議を進行すると、必ず会議参加者の中には不満が残る。リーダーに方向性を押しつけられるのは耐えがたい。会議参加者の意見によって会議の内容が決まり、方向性が生まれるというのが、会議の一番大切なところであり、それこそが会議の面白さ、醍醐味だろう。

「意見が4つに分かれました。さてこれからどうしますか」
これが、躊躇なく発問できるようになるには、かなり努力が必要だろう。話し合えば意見は一致するという確信とメンバーへの信頼が、この言葉を支える力になる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明