水と空気のように大事な自由と民主主義

雑感

地区党会議が終わった。地区委員会の体制も、新しくなった。今日から新しい体制の元で活動が行われることになる。
第26回党大会の地区党会議。2014年2月16日は、あらたな第一歩となる節目の日となった。

ぼくもあと2日で54歳になる。この地区の党専従になって31年目に入る。自分たちの年代が、文字どおり党の中心的な役割を担わなければならなくなった。どれだけの蓄積が自分たちの中にあるというのだろう。自分たちは、本当に先輩方の深い経験と学習を受け継いでいるといえるのだろうか。

心もとない。

一言で言えば、こういう表現になる。はっきりしていることは、分別さえついていないということだ。年齢を重ねると、若い時代以上に体験と経験が積み重なっていく。それはしかし多少に過ぎない。見た目と中身は随分違う。中身は見た目以上にはならない。
30歳の自分と54歳の自分を比べてみても、差異があるのは見た目程度だ。内容はほとんど違いがない。
それでも、自分たちの世代が、日本共産党という組織を担う必要があり、発展させなければならない任務を背負いつつある。

閑話休題。
ぼくたちの世代が背負っている日本共産党について書いてみたい。テーマは自由と民主主義と日本共産党ということだ。
日本共産党は、1922年7月15日に結成され、日本の政党として最も歴史をもった党として今がある。国民の現実の苦難の軽減のために結成された党は、日本の民主主義の発展とともにあったといえる。
日本共産党は、日本社会の中で育ってきたので、歴史の母斑とでもいうような傾向を絶えず党組織に刻印しながらも、変化してきたと思われる。それでも、いつも、時代の制約を乗り越え、先取りする形で民主主義を発展させる役割を担ってきたのではないだろうか。
国民主権がなかった戦前の社会体制の下で、日本共産党は、国民主権と侵略戦争反対を掲げた。この2つの目標は、当時の社会体制からすれば、もっとも許しがたい存在だった。日本共産党は、戦前、社会主義を掲げたから徹底的に弾圧されたのではなくて、国民主権と侵略戦争反対を掲げたがゆえに、徹底的な弾圧を受けたといっていい。戦前も日本共産党以外に社会主義を掲げた勢力はあった。
当時の天皇制政府は、国体の変革を計画する組織を徹底的に弾圧した。国体の変革という点でいえば、国民主権と侵略戦争反対が、最も直截に国体に触れていた。国民主権は天皇主権の最も強い否定だった。天皇制政府が行う侵略戦争に反対することは、天皇の統帥権の否定であり、国家戦略の否定だった。この問題は、将来の社会体制をめざす社会主義よりも、忌み嫌われたということだ。

日本帝国主義の敗北なしに、日本における国民主権は実現しなかったし、戦争放棄と恒久平和も実現しなかった。日本共産党は、戦前、国民主権と侵略戦争反対は、近い将来実現すると確信し、それは歴史の必然的な発展だと予見していた。日本国憲法の実現によって、日本共産党の予見は正しかったことが証明された。

戦後、日本は、高度に発達した資本主義国でありながらアメリカに従属し、軍事や外交面で主権を侵害される国になった。日本は、大企業が政治や経済を基本的に支配しつつ、アメリカに従属する国として再出発した。日本の根本的な問題として横たわっているのは、極端な大企業中心主義とアメリカへの従属にある。この関係を分析して、たたかいの方向を見定めた日本共産党は、当面する日本の変革にとって、必要なのは社会主義ではなくて、人民による民主主義的な革命だということを明らかにした。この人民による民主主義革命は、国民の手で文字どおり国民主権を実現することであり、アメリカからは真の独立を実現し、アメリカとの関係を対等平等なものに変革するというものだ。

戦後の日本の民主主義は、大企業中心主義とアメリカによる日本の支配という中で、大きく歪められてきた。日本共産党が、現在、多くの人々とさまざまな分野で取り組んでいる課題は、いずれも民主主義を前進させるたたかいの一翼を担うものになっている。1970年代に入って、日本共産党は、「自由と民主主義の宣言」を発表した。この文書は、世界の歴史は、自由と民主主義の拡大の歴史であったことを明らかにし、日本社会のたたかいも発展の方向のすべては、自由と民主主義の発展にこそあることを宣言したものになっている。

日本における社会主義・共産主義の未来は、自由と民主主義の発展の先にある。
日本共産党は、現在、組織運営の方針として支部が主役という方針を打ち出している。職場・地域・学園で日本共産党を代表する支部が、自主的に責任を負っている分野を分析し、方針を立て活動することを求めている。これは、上からの命令に従って動くという組織運営を改革しようとするものであり、物事の決定の仕方も、双方向でおこなうというものになっている。この方針は、日本共産党の組織運営方針というだけのものだが、この努力は、民主的な組織を作るという新しい努力を体現したものになっている。自由と民主主義とは何か。日本共産党のたたかいは、どの分野でもこのことを問い続けてきたものであり、党の歴史は、日本共産党の中に自由と民主主義とは何かというDNAを刻み込む運動になってきた。

社会主義を目指した国々が、自由と民主主義を否定するような国家体制をとり、一党独裁を国の原理にし、国民の市民的自由にさまざまな制限をかけていることは、日本共産党にとっては採用しがたいものになっている。
自由と民主主義を歪める体制が、社会主義になることはあり得ない。社会主義にとって自由と民主主義は、水と空気のように大切であり、社会主義が発展する土台となる。これが日本共産党の認識の根底にある。

日本は、安倍政権の下で戦前への回帰というような傾向を露骨に強めている。戦前への郷愁は、自由と民主主義の否定、国民主権への否定にまっすぐに向かっていく。日本共産党は、自由と民主主義を体現してきた政党として、自由と民主主義を否定する安倍政権と真正面から向きあってたたかっていく。自共対決の一つの側面は、自由と民主主義を否定する自民党と自由と民主主義を守ろうとする国民という側面をもっている。

生活保護を巡るたたかいも、自由と民主主義を発展させる重要な分野になっている。
社会保障が、怠け者の制度であり社会保障の充実が人間の堕落を引き起こしているかのような議論があり、こういう考え方で自己責任を強調して、社会保障を切り捨てる傾向が強まっている。社会保障が人間の生活を支える土台であり、この制度があってはじめて、人間の尊厳が守られ、健康で文化的な生活を保障できるという考え方をうち立てるのには、まだまだ時間がかかるように見える。
働いている人々の中に低賃金と長時間労働が広がるにつれて、社会保障への懐疑と怒りが強まっている。フランスの話を聞いていると、こういう議論からフランスは卒業しているように見える。日本の場合は、生活保護以下で生活している人々が大量に存在しており、それが生活保護を特別の制度に押し込めている。フランスでは、貧困家庭に対しては、ほぼ100%生活保護が支給されている。生活保護が、社会を根底から支える仕組みとして成り立っている。すべての人々の土台に生活保護があり、そういう制度があって国民生活があるという仕組みになれば、働いている人々の生活は、すべて生活保護を上回るようになる。
日本社会は、国民同士に分断を持ち込んで、いがみ合いを組織することによって、支配の体制から目をそらせるように仕組まれている。貧しい者が貧しい者を攻撃することによって、結局は自分たちで自分たちの首を絞めている。
生活に苦しんでいる人々が、生活保護に対して「おかしい」と言い攻撃している。気持ちはわかるけれど、攻撃すればするほど、自分たちの土台である社会保障が壊され、自由と民主主義が破壊されていく。生活保護は、すべての社会保障の基準として機能しており、保護基準が切り下げられると、社会保障の多くの基準が切り下げられることに直結する。こういう仕組みとして生活保護があることを多くの国民は知らない。
自分たちの生活と社会保障はつながっており、このつながりの根底には生活保護が存在している。生活保護を充実させることが、最低賃金を引き上げることにもつながる。しかし、なかなかこういう認識は広がっていない。

日本の生活保護制度は、基準を守らせる制度、生活保護受給者を管理する制度として存在している。生活保護は、管理する制度から生活を支援しサポートする制度として、生まれ変わらせる必要がある。
禁止事項を列挙しているべからず集の保護制度は、制度の基準を守らせることによって、皮肉なことに生活保護依存を大量に生み出してしまう。車を持つな、基準以上の仕事をすれば保護を打ち切る、贅沢すれば疑いの目で管理するというようなルールは、保護基準を守れば、保護からなかなか抜け出せないという傾向を生み出す。保護打ち切りは、ルール破りにも適用されるので、生活保護受給者は、保護基準の範囲で生きようとする。同時に自立をも促されるので、2階にのぼらせてハシゴを外され、同時に飛び降りを強要されるようなものになっている。
このようなものではなくて、保護から脱却する自立へのプロセスを温かく支援する制度としてつくりかえることによって、生活保護を受けやすいものに変えるべきだろう。そういう方向に舵を切れば、生活保護は、日本の社会を根底から支える制度として、国民に安心を保障するように変わる。こういう生活保護制度が実現するためには、まだかなり長いたたかいが必要になると思われるが、このたたかいは、日本の社会保障再生の一翼を担うものになるにちがいない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明