優しさと甘さがあっていい
議会だより編集委員会は、朝から夕方まで行われ、ぼくが書くべき記事も多かったので作業は6時過ぎまでかかった。お昼頃はまだ暖かい感じが残っていたが、6時過ぎに役場の外に出ると、強い風が吹いていた。
気温がすごく下がっている。駐車場にある車までの距離は10数メートル。重たいMacBook入りのダレスバック右手にもち、12月会議の議会資料の入った資料入れを左手に抱えて歩くと、強い風で少し体がよろめいた。
駐車場に停めている車のドアを開け、ダレスバックを後部の床に置き、資料を後部座席に置いて、その横に置いていた日曜版の入った段ボールを両腕で抱え、車のドアを閉めた。
日曜版を配り始めた時は6時半ごろだった。庁内に人はまばらだった。役場のオフィスの目につくところに、入るときはお声掛けくださいとか、職員以外立ち入り禁止とかの張り紙が目につくようになった。クレイマー的な人が何年もずっと役場に入り込んでくるので、このことを牽制するために行われたものだ。夕方になると威圧的で大きな声が廊下まで聞こえてくることが多かった。
「自分よりも若い年齢の人間から学ぶことは何もない」という哲学の持ち主だったので、職員よりも年齢の高いその人は、いつも威圧的な物言いをしていた。結局は長い時間が経過し、対策が講じられた。この対策の前には、「通報事件」に至った日もあったようだ。
他人に対するリスペクトを忘れてはならないと思う。もちろん犯罪に手を貸すというような努力は批判されなければならない。その場合も行為を憎んで人を否定しないという態度が求められる。日本人は、批判とともに相手の人格の全てを否定しがち。そうならないように自分を戒めることが大切だろう。自分がそうなっているのか。なかなか心もとないが、人格否定だけはしたくないという自分がいることは確かだ。
福祉が人を死に追いやっているような現実のなかに生活保護の事務があったりする。水際作戦と呼ばれてきた、生活保護申請を水際で食い止めるような態度によって、過去には男性が餓死した例もあった。そういうことは本町では起こっていないが、申請を食い止められて苦しんだ人は過去に、現実問題として存在した。
役場の職員の仕事は、国から降りてくる施策そのものが矛盾に満ちたものになっているので、なんとも言い難いような、いいことと悪いことが一緒になって渾然一体という形になっていることも多々ある。そうならないようにもがくこと、そうならないようにあがらうことも求められる。
なんとも言い難いような矛盾の中で、冷たい態度に陥らないで住民のために働いている職員がいる。議員の行政に対する批判は、仕事に対するリスペクトを根底に置いてなされるべきだろう。頭ごなしに「なっていない」というような態度での批判は、なされるべきではないと思っている。
人間に優しい態度で接するべきだと思っている。生活保護に陥った人々の中には、生きる姿勢が壊れてしまった人もいる。しかし、長いその人の人生の中で次第に生きる姿勢が壊れてしまい、「人間としていかがなものか」と思うような人にも出会ってきた。「あなたのそこが間違い」だと言って、説教したり叱責してもそういう人には届かない。生きる姿勢には関係なしに生活保護は存在し、生活保護は必要になっている。全ての人間の、人間的な再生のために無条件で生活保護を受給してもらい、長い時間をかけて人間的な再生を支援するというのが、生活保護に対応する哲学だろう。
人に対する甘さと優しさから始まる支援がある。厳しさではなく甘さが生きる姿勢を失った人には必要だろうと思う。人間と社会に対する信頼を失ってしまった人は、他人を平気で傷つけたり、信頼を寄せて支援する人を簡単に裏切ったりする。ケアは、そういう人に優しい手を差し伸べるところから始まる。人間性を失った人が回復するプロセスは、その人が失っていった時間と同じほど、時間のかかるものなのかも知れない。
自己責任という言葉が、小泉内閣の時に明確に国民に対して発せられ、国民を非難したのは、イラクに行って過激派に拉致された事件がきっかけだった。日本政府に迷惑をかけたのは許し難いとして、捕まった人に浴びせられたのが「自己責任」という言葉だった。人道支援のボランティアを、政府の立場から非難するというのは異常なことだった。
その後だろうか、前だろうか。「勝ち組」と「負け組」という言葉も盛んに使われ消えていった。勝ち組と負け組という言葉が消えたのは、格差と貧困が広がって、勝ち組が国民の中ではかなり少数になったからだろう。国民を二分していたように見えたこの言葉が実態を失って、一握りの勝ち組と圧倒的な負け組という構図が出来上がったので、この言葉に置き換わったのは富裕層だったのだと思われる。こういう状況のなか、格差と貧困の広がりのもとでも自己責任という言葉は生き残り、国民を苦しめている。
国民の負担を増大させ、賃金を切り下げてきたのに、この政治と経済の責任を問わないで、自己責任だという言葉が、負けていっている人々を今も苦しめている。若者がまともに就職できなくなり、2人に1人が非正規雇用になり、女性の2人に1人が非正規雇用になっても、この自己責任という言葉で、そうなったのは「あなたのせい」みたいな社会になっている。
年金だけで生活する老人は、一部の人を除いてみんな下流老人になるのに、そうなったのは「自己責任」だというのであれば、かつらぎ町役場に務めていただ職員が、老後生活苦に陥るのも自己責任だということになる。公務員が老後、下流老人になる日本社会の方がおかしい。
優しさと甘さがあっていい。そう思っている。










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リスペクトねえ。