墓掃除と引っ越しと

雑感,出来事

高野山の奥の院へ登る車はそんなに多くなかった。色花を買うためにこんにゃくの里に立ち寄るために、少し遅めに家を出た。9時開店よりも10分前にお店に着くと、もう営業を始めていた。まだ食品が並べている人がいた。花を買って、レジで花の長さを短くしてもらい、新聞紙に包んでもらった。兄は、その花を抱え車の後ろに積んでいたバケツの中に花束を差し入れた。
墓所は、一橋から奥の院に至る石畳の参道から山の中に入った中にある。参道に平行して高野龍神スカイラインに至る道が走っており、道路に並行して墓参り用の駐車場が続く。車は、その駐車場に9時33分に到着した。従兄夫婦はすでに山の中に入り、東芝家と父母の墓所にいた。

従兄夫婦とぼくと兄、妹の3人兄弟の5人で墓掃除をした。お彼岸から夏まで管理されていなかった墓には、木の枝が何本か落ちていた。槇の葉などが墓の周りに落ちているのでそれを丁寧に取り除いて、墓にくっついている苔をスポンジなどで磨く。草をむしる。水は墓所から少し下がったところにある。何度かバケツに水を汲む必要があった。

高野山から下りるときには、登ってくる車が増えていた。観光バスが3、4台並んでいた。観光バスがつながっているのを見るのは久しぶりだった。コロナに対し行動制限を加えなくなったので、バスも増えるんだろうか。

午後は、引っ越しで一緒にアパートに行った。インターネットの契約を電話で行ってから、ホームセンターに買い物に行った。組み立て式の棚も2つ買って、アパートに運び込んだ時点で本日は終了となった。まだガスがつながっていないので、アパートのカギをかけて、2人、車を連ねて笠田まで帰ってきた。

一度に電化製品から家財道具まで買い込むとかなりの出費になる。自分でためたお金で自立へのスタートを準備している。立派だねえ。ぼくが和歌山市内から戻り、日本共産党紀北地区委員会に就職したのは23歳。ぼくの場合、既に引っ越しの荷物は多かったが、家財道具のほとんどは、笠田の家に住んでいた高校時代の家族のもの全てだった。何の話し合いもなしに兄が出て行き、妹が出て行って結婚したので、ぼくが昔からの家財道具の全てを引き受けていた。和歌山市内で生活するのに2回引っ越しし、笠田東のアパートに移ったが、引っ越しのたびに道具がなくなっていき、むしろシンプルになり、それに替わるものとして本が格段に増えていた。カラーテレビは壊れ、白黒の小さなものに格下げになっていて、しかもアンテナにはつながっていなかった。テレビを見ないで生活していた時間は、6年ほどあっただろうか。今と比べると時代の差を感じるし、今の若い世代と比べると、生きてきた道の違いを感じる。

人生は短い。23歳になった人と自分を比べると、自分の23歳のときが鮮明によみがえってくる。昔は遠くに過ぎ去っていかない。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明