隔離生活3日目

出来事

今日は鼻水が出るのと咳が少し出る。もしかしたらコロナよりもクーラーのせいかもという感じ。夜寝るときは、クーラーを切って寝ることにした。お盆以降、夜は涼しさを感じるようになった。熱も節々の痛みも喉の痛みも消えた。自宅におけるサイドボードの天板を机代わりに、ピアノの椅子で仕事をすることにしたい。

「栄冠は君に輝く」

知人から仙台育英高校の初優勝に感動したメールが届き、この中で「栄冠は君に輝く」という甲子園の曲がいいと書かれてあったので返事を書いてみた。その文章に少し手を入れてここに載せておきたい。
東北勢の初優勝は歴史的なものでした。1969年、青森の三沢高校の太田幸司投手が延長18回を投げ通し、翌日の再試合で敗北した伝説の試合を、その数年後に知って驚いたことを思い出しました。

「栄冠は君に輝く」。作曲は、朝ドラで描かれた人物のモデル、小関裕而さん、作詞は作詞家で元球児だった古賀大介さん。全国高校野球は、太平洋戦争に突入した中で中止されていました。野球自体が次第にアメリカ生まれの敵性球技という目で見られ、戦争遂行にとって時勢に合わないので嫌われはじめていました。中止になった最大の理由は戦争が激しくなって継続が困難になったからでした。その結果、多くの高校球児が、甲子園への夢を絶たれました。中には、少年兵として軍隊に志願し、命を失った人もいます。
しかし、戦後1年にして高校野球は復活しています。1946年はしかし、甲子園での開催は叶いませんでした。甲子園大会として再スタートを切ったのは1947年です。野球関係者の方々は、どれほど強く平和を求めていたでしょうか。

「栄冠は君に輝く」は、旧制の学区制が現在の6・3・3・4の単線の学区制に変更された年、1948年を記念して作られた曲です。この年は高校野球の大会の30周年の節目にも当たりました。旧制の高校野球は、「全国中等学校優勝野球大会」と呼ばれていましたが、学区制の変更によって、1948年からは「全国高等学校野球選手権大会」となりました。
春の選抜は「選抜高等学校野球大会」(旧学区制の時代は「選抜中等学校野球大会」)といい、毎日新聞と日本高校野球連盟の主催です。夏の大会は1915年にはじまり、春の選抜大会は、1924年に始まりました。スタートには9年の開きがあります。夏の大会は朝日新聞と日本高校野球連盟の主催です。これは昔から変わりません。

「栄冠は君に輝く」は夏の大会用に朝日新聞が募集したものです。曲調に憂い、哀愁を感じるのは、変ロ長調だからだと思います。歌詞を読むと夏の大会を歌った歌だと実感します。選抜の大会は、別の歌が使われています。 
8月15日、天皇の玉音放送の時間を記念して、終戦記念の黙祷が捧げられています。この日は、日本の帝国主義戦争が敗北をもって終わりを告げた日です(ポツダム宣言に調印したのは1945年9月2日。これが正式な戦争の終わった日)。高校野球の連盟にとっては、高校球児たちの叶わなかった夢に対して、敬意を払い黙祷しているのだと思います。
77年前の高校球児たちの思いも「栄冠は君に輝く」という歌に込めれれているのではないでしょうか。栄冠は試合に勝った人だけに輝いてるのではありません。作詞した古賀大介さんは、野球の試合中に怪我を負い、右足を切断された人でした。若き日の古賀さんも含め、白球を追い精一杯戦った全ての球児の胸に栄冠は輝く。そういう歌です。

青い空と白い雲、白球と汗。甲子園。子どもの頃、クーラーのない自宅のテレビで高校野球を見ていた頃のことを思い出しました。関西電力の節電の訴えとカルピスのコマーシャル。これがぼくにとっての甲子園の記憶です。


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出来事

Posted by 東芝 弘明