自分ごと化会議の一つのテーマを見た

雑感

午前中、質問用の資料を受け取りに行き、お昼はステーキを焼いて昼食にした。オージービーフのタレ付きの半額肉だ。このお肉は、ペッパーステーキということだったが、かなり塩辛く、少し臭みもあって美味しくなかった。もやしを一袋そのお肉のタレで炒めて食べ、さらに買ってきたオニオンサラダも食べた。

昼から事業仕分け、自分ごと化会議の内容を見させていただいた。行政の仕事を自分ごとにしてもらうために無作為抽出した1000人の住民から応募のあった31人の町民が事業について判定するという会議だった。
ロの字型に用意されたテーブルの中央で「構想日本」という会社の人がコーディネーターを務め、その両側に4人仕分け人という人がいる。コーディネーターの向かい側には、説明のために各課の課長や課長補佐、担当職員が4、5人座っている。この状況を後ろで見ている町民の判定人が、やり取りが終わった後判定するというものだった。行われたのは12月3日の土曜日、午前9時から5時までの長丁場だった。

最初からテーマが定められており、説明は10分ほど、資料に基づいて課から説明があり、それ以後、質疑応答が行われる。コーディネーターがまとめ役、進行役という形だった。最初はコミュニティバスとデマンドタクシーの運行についてだった。時間がなかったのでその次に行われた高齢者サロンと老人クラブのところをじっくり見させてもらった。

【事業仕分け実施体制】は以下のとおり。
(1)論点整理 コーディネーター1名(一般社団法人構想日本)
(2)仕分け人 4名(一般社団構想日本派遣)
(3)町民判定人 31名(応募者数) 
※無作為抽出した16歳から80歳までの町民1,000名の方の中から参加者を募り選出しました。
(4)説明者 事業担当課(課長、課長補佐、係長、事務担当等)

町のホームページに実施についての資料も掲載されているのでリンクを張っておく。

https://www.town.katsuragi.wakayama.jp/050/100/files/honbanshiryou.pdf

高齢者サロンと老人クラブが同じまな板の上に載せられて、一緒に論じられたことに違和感を感じたが、進んで行くとこの2つのどちらかを休止してどちらかを残すという選択肢も出され、「仕分け」の議論になった。10分弱の説明のあと80分の議論でこういう判定を求めるということに対して、かなり性急な感じを受けた。

判定の仕方は以下のとおり

もし不要・凍結という答えが出れば、わずか90分のやり取りで、町は事業の廃止も含め判断が迫られることになる。高齢者サロンと老人会は、関係する町民がいる。この人々からの説明はない。行政は、事業を実施している当事者の話を把握しているとはいえ、日常的にはコーディネートしている関係にあって、実際の運営は高齢者サロンにしても老人会にしても、運営は住民が行っている。こういう事業については、行政が説明するだけではなく、当事者である住民も説明に加えないと、実態を踏まえない議論になるのではないかと感じた。

90分の議論の中では、高齢者だけでなく子どもたちとの交流など、もっと工夫はできないのかという視点が出された。
「大胆なことを簡単に語るんだな」と思った。核家族化が進行し、お年寄りのみの家庭が増え、一人暮らし、夫婦2人暮らしとなっている状況が広くあり、子どものいる世帯も核家族化している。それぞれが孤立している傾向が増えており、とくに所得の低い人々の間に孤立は深刻に広がっている。分断と孤立は、格差と貧困の結果として広範囲に生まれている。
一昔前は、大家族が当たり前で、家には孫がいた。その時代は、夕方になると一家団欒があった。地域の助け合いが自然発生的に生まれる土壌の下で人間は生活していた。しかし、世代間の交流がそう簡単にはできない社会構造が進行し、同時に長時間労働と低賃金という実態、夫婦共働きという実態が当たり前になっている状況下で、子ども会や育成会の運営には困難が横たわり、地域におけるコミュニティもかなり希薄になっている。こういう状況の下で子どもたちとの交流という提起がなされた。

ぼくは聞いていて驚いてしまった。この論を強く押し出した仕分け人の人は、課長に対して「なぜできないんですか」と問い、返答に困っているときに、「縦割りですか」とさらに問いを発した。縦割りが原因で交流が分断されているのであれば、交流はそんなに難しくない。役場が縦割りを改善して連携を図れば、事業は改善する。しかし、そんなところに根本問題はない。

婦人会が解散し、老人会への参加が少なくなり、区長や民生委員のなり手が減っている現実の前に横たわっているのは、長時間労働と低賃金、年金の65歳支給による「一億総活躍社会」の問題だろう。地域活動の担い手は、今まで60歳定年を迎えた人々が地域デビューすることによって行われてきた。年金が65歳支給になっただけで、みんな働かなければならなくなって、核家族であくせくし、四苦八苦している若い世代と同じように60歳を超えた世代も四苦八苦しはじめている。こういう現実のもとで、個人の趣味を生かす道は、第三次産業の発展によって多方面に広がり、趣味を生かす道の選択肢は広がっている。

しかし、田舎は、この発展してきた第三次産業から壊れはじめている。地域経済の衰退が、人間がバラバラになる仕組みの上にのしかかりつつある。かつらぎ町のような田舎に来て、事業仕分けをするのであれば、田舎はどうやって再生できるのか、きちんとした認識を持った人に来てもらいたいと思う。話は、実態に合わない乱暴なものだと感じた。
地域がどうして壊れてきているのか、田舎がなぜ都市部よりも衰退しているのか。こういう問題を深く捉えている人が、高齢者サロンや老人会のことを論じないと、はじめから論点がずれてしまって、困惑が広がるだけだと思われる。

幸いにも多数の意見は、要改善という形に落ちついた。事業仕分けで不要・凍結なんて答えが出て、それが実態に即したものでなかったら町はどうするんだろう。いきなりそこに一直線に進むのではないにしても、それが有意義なのかどうかはかなり難しい。

もちろん、かみ合わない、ずれた論議をするのも無駄ではない。どうしてそんな観点が出てくるのかを問い直して、考え直すことによって見えてくるものはある。困難な現実の中で何をどうするのかということは、ずれた論議をヒントにしてもはじめることはできる。

事業仕分けという手法は、短時間では乱暴なことになると思っていた。かっこよく不要・凍結という視点も入れているが、こういう仕分けの視点は外して、あくまでも参考にして下さいという形にした方がいいのではないだろうか。とくに住民が担っている事業がある場合は、担い手・当事者に参加してもらわないと、それは乱暴すぎる。当事者である住民が参加できない議論は、議論の作り方が間違っている。高齢者サロンと老人会については、そんな感想をもった。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明