広域連合議会の勉強会が予定されている

雑感,出来事

コロナの中、できなかった運動会の観覧が実現した。小学生の子どもたちが一生懸命走ったり、踊ったりしている姿を見ていると、何度も目がしたら潤んできた。人が精一杯頑張っている姿は、人の心を動かすということだろうか。
「最近涙腺が弱くなって」という町職員がいて、「おんなじですね」と共感した。
とにかく人と話をしていても、声が詰まったりする。これはどうも病気に近いかと思ってきた。
涙腺崩壊でいえば、娘の幼稚園の卒園式が最悪だった。妻も娘も忘れることのない出来事だったと思う。とにかく挨拶が途中でできなくなって、終わってしまったということだった。
妻は下を向いて顔をあ上げることができなかった。

それが恐怖になって、小学校と中学校の卒業式がそうならないように必死だった。
運動会の子どもたちの姿を見て、こんなことを思い出していた。
午後は、講演会に行くことを諦めて、後期高齢者医療広域連合の予算を説明できるよう準備した。学習会の講師依頼に応えるためだ。議員がどのような仕事をしているのか。知ってもらえる機会にもなる。制度の仕組みを理解して、会計に向き合っていくことが大事になる。
学習会は和歌山市内で行われ、広域連合議会に傍聴に来ていただいている人たちに対して行われる。広域連合には準備期間を含めると16年の歴史がある。事務がスタートして15年になる。この歴史の中で住民の中でこのような形での学習会は初めてのことになる。

現在、和歌山県後期高齢者医療広域連合には日本共産党の議員が誰もいない。
広域連合議員は、というか各一部事務組合や広域連合の議員は、選出されている議会の議員代表ではない。そういう仕組みで議員は選ばれていない。なのに充て職の議員が多く、議長の身分で選出されていると思っている議員が多いので、議案審議を広域連合が求めているのに、誰も質疑の通告をしないという状況になっている。議会の代表ではないので、事前に議案を選出された議会で検討することはない。検討していないので質疑もできないと思い込んでいる議員が多いだろう。重要な議会であり、改善を求めるべきなのに、誰も発言をしない、質疑をしないという異常な状況になっている。
日本共産党の議員が広域連合の議会にでれば、通告をし、討論をして、議会が少しは議会らしくなる。広域連合の事務局としては、質疑をしてほしくないという気持ちもあるだろうが、議会として運営しなければならないので、緊張感があり仕事の質が変わってくるし、変化が起こる。ぼくが議員として出たことによって、実現したことはいくつかある。

事務を担当している職員は、和歌山県内の30市町村から派遣された自治体職員で17人ほどの構成になっている。寄り合い所帯の事務局が、唯一の保険者となって、和歌山県内の保保険者である75歳以上の人の保健会計を管理し保健事業を運営している。被保険者は16万人ほど。これだけ大きな会計と事業を行っている組織に対し、議員が会議には出ているが、何もしないというのは、いかがなものだろうか。

日本共産党の議員が広域連合議会にいく意味は大きい。日本共産党の議員がいなくても活発に質疑や討論が起こることは期待したい。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明