10年が1日で過ぎ去るような歴史的瞬間

雑感

朝も会議、昼からも会議。
『日本共産党の100年』の読書を再開した。戦争の中でも国民はたたかいをやめなかったことが分かった。戦後、日本共産党は、公然と活動できるようになり、1945年11月頃からわずか3か月間で1800人程度から6000人を超える党員になったという記述もあった。再建された日本共産党は、その水準も高く憲法草案などを発表している。
日本社会の変化から隔離され、獄中にあった党員は200人を超えていたようだ。日本帝国主義はポツダム宣言を受け入れ、連合軍の総司令部としてアメリカが日本を占領下に置くという変化を、どう理解して対応するのかということは、なかなか難しい判断を要することだったと思われる。国際的な共産主義運動が変質し、スターリンによる独裁政治が、第二次世界大戦下で大きく歪んで進んでいることも、アメリカが世界の帝国主義陣営の中で、独特の地位と役割を発揮しつつあることも十分把握できないなか、日本共産党は、活動を開始したことになる。

戦後すぐの時代。ソ連の変質と大いなる害悪、アメリカによる世界支配への動きの本質をつかんで方針を立てることは、日本のどの勢力もできていなかったと思う。日本は国土が焦土化し、国民の生活は食糧難の中で四苦八苦していた。この中で日本がどう変化していくのかさえ、見通せている人はほとんどいなかったと思う。ただ、戦後すぐの歴史を読んでいると、ポツダム宣言が、日本の民主主義の復活を目標にしていた理由がよく分かる。日本帝国主義に抑圧されていた民主主義的な傾向が、堰を切ったように溢れ、極めてエネルギッシュに動いていたのも、戦後すぐの状況だった。労働組合の大規模な結成と運動はそれを端的に示すものだった。

『日本共産党の100年』を読むことを通じて、立体的に歴史の流れを把握し直し、気がついたことを調べるのは面白いと思う。歴史にはいろいろな顔がある。戦争の終結と戦後数年間の変化は、まさに100年が1日のごとく過ぎ去る歴史的瞬間だった。歴史には、10年経っても1日も変化しないような時期もあれば、100年の変化が短時日に起こることもある。1945年から1952年までの世界史の変化は、まさにそういう変化の中にあった。この時代を学ぶのは面白い。


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雑感

Posted by 東芝 弘明