学力についての補足

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午前中は、議員団の学習会。午後は役場に配達と集金に行った。
さて。
学力についての補足を少し。
新自由主義の考え方による学力観は、市場原理にもとづき競争こそすべてという考え方に立っていると同時に、現在の社会的な規範の欠如とも言えるモラルの破壊に対しては、国家主義的な規範を示して、国民を導かなければならないという復古主義的な考え方に立っている。新自由主義と国家主義的な考え方が両立しているというような状況だ。
果たして、このような方針で、今日の学力問題や教育問題を解決できるだろうか。
競争によってほんものの学力は身につかない。ぼくはそう思う。
人間は、社会の一員として生きている社会的存在である。人は、自分の幸福をめざして学習を積み重ねていくが、自己の幸福の追求は、より良い社会をつくることと深く結びついている。政治は、人間の「幸福の条件」に深く関わる問題だから、自分の幸福を考えていくと政治のあり方について考えざるをえなくなってくる。政治は、自分にとって深く関わる問題として、どうしても自分の生き方に立ちはだかっている。
人が豊かに成長するために必要なのは、「目的をもって生きること」、「コミュニケーションを通して他者とつながること」だと思われる。
競争ではなく、語り合い、話しあい、わかり合うなかで、自分を肯定し、他者の権利を自分のことと同じように尊重するなかで、はじめて判断力、思考力、分析力、総合力、表現力創造力などが培われていく。
子どもたちのなかに学力をつちかうためには、小学校の時代から、当然のこととして社会との関わり方を学び、社会的な問題について話しあい、語り合うことが必要になる。
政治的な課題、社会的な事件、環境問題、平和問題等々、人類が抱えているさまざまな問題をともに考え、語り合い、解決の方向を子どもなりに考えることが、ほんものの学力を培う上でも重要になる。
現実の困難な、複雑な問題に対して、自主的に考え解決を見いだしていく力の育成は、学力そのものだと思う。
「心の優しい子どもになってほしい」「思いやりのある子どもに育ってほしい」という願いとほんものの学力は、深くつながっている。心優しいこどもにという親の願いと学力を一つのものとしてとらえる学力観、こういう見方を育んでいくことが重要なのだと思う。
大人には、子どもたちに次代を担うバトンを渡す責任がある。生きるための学力は、より良い社会をつくるための学力として培われる。今よりもより良い社会をめざす人間の育成なしに、人間の進歩はない。
自然科学も社会科学も、進歩のためには現在の科学に対する根本的な批判的精神がなによりも必要だった。現状への批判的な精神のないところに進歩はない。現状を肯定しつつ、同時により良い未来を見すえる力。これは、科学的な精神の根本に座っているものの見方であり、これこそが学力の根本に座るものの見方だろう。このようなものの見方は、ヒューマンな批判的精神だといっていいだろう。
ヒューマンな批判的精神は、豊かな人間への信頼と、豊かな人間と人間との交流のなかでこそ育まれる。
競争ではなく学びあう人間関係が求められている。こういう営みの中でこそ本当の学力が培われる。


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Posted by 東芝 弘明